平治物語絵巻(読み)へいじものがたりえまき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平治物語絵巻
へいじものがたりえまき

平治の乱 (→保元・平治の乱 ) を題材とした絵巻。 13世紀後半の作,紙本着色。ボストン美術館蔵の「三条殿夜討の」,静嘉堂文庫蔵の「信西の巻」,東京国立博物館蔵の「六波羅行幸の巻」 (国宝) の3巻と,諸所分蔵の「六波羅合戦の巻」残欠 14図が現存する。画面構成はダイナミックでよく整理されており,人馬の動きを的確に表現。現存の諸巻は画法や武具などの風俗描写に微妙な差異が認められる。後世の合戦絵に大きな影響を与え,なかでも俵屋宗達の扇面画に多くの図様が取入れられたことは著名。このほか,「六波羅合戦の巻」の白描模本と「待賢門合戦の巻」の彩色模本が伝来する。

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百科事典マイペディアの解説

平治物語絵巻【へいじものがたりえまき】

鎌倉時代の絵巻。古記録では十数巻あったとされるが,現存するのは《三条殿夜討巻》《信西巻》《六波羅行幸巻》の3巻のほか,六波羅合戦の場面の残欠14枚。簡潔な描線で特徴ある人物像を描き,群集を大胆な構図でとらえている。画家は住吉慶恩と伝えられるが明らかでない。→信西

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世界大百科事典 第2版の解説

へいじものがたりえまき【平治物語絵巻】

1159年(平治1)の平治の乱を記した《平治物語》の諸場面を描く鎌倉時代の絵巻。原画の存するもの4巻,模本のみが知られるもの2巻がある。〈三条殿夜討の巻〉(ボストン美術館)は,乱の発端,藤原信頼が源義朝とともに平清盛の留守をねらって上皇の御所三条殿を夜襲し,上皇を車にのせて内裏へ渡す一方,義朝は宿敵信西を求めて果たさず,御所に火を放ち狼藉の限りを尽くすところを描く。この一巻はあわただしい人馬の動きではじまり,紅蓮の炎の下で敵味方入り乱れ,繰りひろげられる凄惨な光景,そしてしだいに隊列を整えながら引き上げていく武士団まで,絵巻としては幅広の一連の長大な画面を,時間の経過とともにダイナミックに構成し,堂々とした建物の描写,武者たちの機敏な動勢,武具装束などをも冷徹なまでにみごとに表現した合戦絵巻中の最大傑作といえよう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平治物語絵巻
へいじものがたりえまき

鎌倉中期(13世紀後半)の絵巻。平治の乱(1159)に取材した軍記物語『平治物語』を絵巻化したもの。現在、三条殿夜討(ようち)の巻(ボストン美術館)、信西(しんぜい)の巻(東京・静嘉(せいか)堂、重文)、六波羅(ろくはら)行幸の巻(東京国立博物館、国宝)の三巻と、六波羅合戦の巻が断簡となって諸家に分蔵されている。三条殿夜討の巻は、藤原信頼(のぶより)と源義朝(よしとも)の軍兵が後白河(ごしらかわ)上皇の御所三条殿に火を放ち、上皇を内裏(だいり)に移して幽閉する場面。信西の巻は、奈良方面へ逃亡の途中自害した信西(藤原通憲(みちのり))の首を討ち取り、都大路を引き回すくだり。六波羅行幸の巻は、内裏に幽閉された二条(にじょう)天皇が女房に変装して脱出、六波羅の清盛(きよもり)邸に逃れる場面。六波羅合戦の巻は、清盛の六波羅邸に攻め込んだ源氏の軍勢がかえって敗退し、義朝は東国に落ちるくだりが描かれる。これら四巻は、詞書(ことばがき)の、独特のふるえを帯びた書風が一致し、もともと一連の大部の絵巻の一部と考えられる。絵も各巻の画風は近似するが、描法に多少の差違があり、同系統の何人かの画家によってつくられたものとみられる。画面の構成は力強く、雄渾(ゆうこん)で、とくに群像の表現、甲冑(かっちゅう)の正確な描写などにみるべきものがある。整然と整った構図と鮮やかな濃彩を駆使した画面は、合戦絵巻中の白眉(はくび)とされる。なおこのほか模本として、待賢門(たいけんもん)合戦の巻、および別系統の常盤(ときわ)の巻が伝存している。[村重 寧]
『小松茂美編『日本絵巻大成13 平治物語絵詞』(1977・中央公論社) ▽松下隆章編『新修日本絵巻物全集10 平治物語絵巻他』(1975・角川書店)』

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