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宮本三郎 みやもと さぶろう

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美術人名辞典の解説

宮本三郎

洋画家。石川県生。川端画学校に学び、藤島武二黒田重太郎前田寛治安井曽太郎に師事する。太平洋戦争に従軍画家として赴き、帝国芸術院賞を受ける。二紀会理事長・日本美術家連盟理事長。芸術院会員。昭和49年(1974)歿、69才。

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デジタル大辞泉の解説

みやもと‐さぶろう〔‐サブラウ〕【宮本三郎】

[1905~1974]洋画家。石川の生まれ。戦争記録画にすぐれ、第二次大戦後は二紀会を結成。晩年は舞妓(まいこ)・裸婦などを描いた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宮本三郎 みやもと-さぶろう

1905-1974 昭和時代の洋画家。
明治38年5月23日生まれ。川端画学校で藤島武二にまなぶ。二科会会員。従軍画家となり,昭和18年「山下・パーシバル両司令官会見図」で芸術院賞をうける。戦後は第二紀会を結成。新聞連載小説挿絵画家としても活躍した。多摩美大,金沢美術工芸大の教授。芸術院会員。昭和49年10月13日死去。69歳。石川県出身。

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大辞林 第三版の解説

みやもとさぶろう【宮本三郎】

1905~1974) 洋画家。石川県生まれ。戦争記録画に佳作を残す。晩年は舞妓・裸婦の連作で知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宮本三郎
みやもとさぶろう
(1905―1974)

洋画家。石川県生まれ。1920年(大正9)上京して川端画学校に入り、藤島武二の指導を受ける。のち安井曽太郎(そうたろう)に師事し、27年(昭和2)から二科展に毎回出品、36年二科会の会員となる。38~39年パリのアカデミー・ランソンに学ぶほか、ヨーロッパ各地を巡遊。42年太平洋戦争下の南方へ従軍して『山下・パーシバル両司令官会見図』を制作、翌年帝国芸術院賞を受ける。44年朝日文化賞を受賞。第二次世界大戦後、47年(昭和22)同志と二紀会を創立し、のち理事長となる。66年日本芸術院会員。晩年には『妻と私』のほか、的確な写実力と華麗な色彩による舞妓(まいこ)、裸婦の連作で注目された。80年には生地の小松市松崎町に宮本三郎記念美術館が開館した。2000年(平成12)同市小馬出町(こんまでまち)に市立宮本三郎美術館が開館、記念美術館はその分館宮本三郎ふるさと館として2001年に新たに開館した。[小倉忠夫]
『『宮本三郎画集』(1977・朝日新聞社) ▽小松市立宮本三郎美術館・毎日新聞社編『宮本三郎 故郷にみる実り豊かな軌跡』(2000・毎日新聞社)』

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