戸田旭山(読み)トダキョクザン

デジタル大辞泉 「戸田旭山」の意味・読み・例文・類語

とだ‐きょくざん【戸田旭山】

[1696~1769]江戸中期の医師備前の人。名は斎。通称斎宮いつき本草学にすぐれ、大坂開業。著「救生堂圃史」「医学名数」など。

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精選版 日本国語大辞典 「戸田旭山」の意味・読み・例文・類語

とだ‐きょくざん【戸田旭山】

  1. 江戸中期の漢方医。名は斎(いつき)。無悶子・百卉園とも号す。備前国岡山県)の人。本草学にすぐれ、草医斎宮と称し大坂で開業、名医として知られた。著「文会録」など。元祿九~明和六年(一六九六‐一七六九

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朝日日本歴史人物事典 「戸田旭山」の解説

戸田旭山

没年:明和6.2.28(1769.4.4)
生年元禄9(1696)
江戸中期の医者,本草家。名は斎,通称は斎宮,号は旭山,无悶子。備前岡山藩士鈴木氏の長男母方の戸田氏を継ぐ。京都に上り開業,次いで大坂に移る。津島恒之進に本草を学び,鰻谷箒屋町(大阪市中央区)の自宅に薬園を設け百卉園と名づける。宝暦10(1760)年浄安寺で物産会を開き,その記録を『文会録』として出版。出品者中に田村藍水,後藤梨春,松田長元,平賀源内,木村蒹葭堂ら著名本草家を集める。翌11年,明和1(1764)年にも大坂で物産会を主催し,実用的本草学の研究と啓蒙に尽くした。多くの逸話を残し,『近世畸人伝』によると,治痢を得意として患者は1日10名に限り,蓄財に関心なく過当な報酬は受けなかった。また古方医香川修徳 の『一本堂薬選』の所説を批判して『非薬選』を出版したが,修徳の才を愛して自分の子は修徳の門に入れたという。<著作>『救世堂圃史』『医学名数』『病名補遺』『小成漫録』『浪華物産会目録』

(遠藤正治)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「戸田旭山」の意味・わかりやすい解説

戸田旭山
とだきょくざん

[生]元禄9(1696).備前
[没]明和6(1769).2.28. 大坂
江戸時代中期の医師,本草家。本姓鈴木氏。幼名万次郎。備前藩士鈴木五左衛門の長男に生れたが,武士を嫌って母方の姓を名のり,大坂に出て医術を学んだ。自宅に百卉園と名づけた薬草園をもち,各種の薬草を栽培するなど本草に詳しかった。宝暦 10 (1760) 年と翌年大坂の浄安寺で物産会を開いた際の記録『文会録』『浪華物産会目録』が伝わっている。著書に『非薬選』『中条流産科全書』『病名彙解補遺』がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田旭山」の解説

戸田旭山 とだ-きょくざん

1696-1769 江戸時代中期の医師。
元禄(げんろく)9年生まれ。備前(びぜん)岡山藩士の子。京都で吉益東洞(よします-とうどう)に医学を,津島恒之進に本草学をまなび,大坂で開業。自宅の庭(百卉(ひょっき)園)で薬草をそだて,しばしば物産会をひらいて出品した。香川修庵の「一本堂薬選」を批判して「非薬選」をあらわす。明和6年2月28日死去。74歳。本姓は鈴木。名は斎(いつき)。通称は斎宮(いつき)。別号に無悶子。

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