中国、唐朝前半期の府兵(衛)制の基礎をなす地方常設の軍事行政機関。隋(ずい)の鷹揚府(ようようふ)を受け継ぎ、長官折衝都尉(せっしょうとい)の下に果毅(かき)都尉、別将、旅帥(百人長)、隊正(50人長)、副隊正などの武官と長史などの事務官を置き、徴兵、訓練、動員、京師(けいし)への衛士および辺境への防人の派遣をつかさどった。年代により増減があるが総数約600前後、その9割近くが長安・洛陽(らくよう)を中心とする地域に集中して置かれ、それぞれ中央12衛の各衛に統属を定められ、衛士を上番させた。国都防衛を主眼としたものであることがうかがえる。地名にちなんだ府名をつけられ、管区を地団と称し、兵士の定員数によって上府(初め1000人、のち1200人)、中府(初め800人、のち1000人)、下府(初め600人、のち800人)の三等があった。大規模な外征にはむしろ折衝府(軍府)を置かない非軍府州から徴発される臨時の募兵が中心で、玄宗時代にはついに募兵制が優位を占め、府兵は農民層の没落などで定員に満たないありさまとなり、749年機能を停止、官名のみ名誉官的称号として残された。日本の律令(りつりょう)時代の軍団はこの制度に倣ったものである。
[菊池英夫]
『菊池英夫著『府兵制度の展開』(『岩波講座 世界歴史5』所収・1970・岩波書店)』
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唐代に各地に置かれた軍府。府兵の徴集,訓練,番上,動員などをつかさどり,長官を折衝都尉(とい)という。全国に600府ほどあり,その8割は長安,洛陽周辺にあった。府兵制の衰微とともに749年機能を停止した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…(1)日本古代の律令国家の軍事組織。モデルとした唐の折衝府(せつしようふ)は兵士訓練,中央衛府への兵士供給を主務としたのに対して,日本の軍団制は,軍事指揮権,兵士訓練権をもたない兵士徴発機構としての性格がつよく,また中央衛府(えふ)とのみ結びつくものでなく国内要地の守備兵,防人(さきもり),衛士(えじ),征軍兵士を供給した。軍団は兵士徴発・動員規模により,最大1000人規模,最大500人規模という2種類の編成式をもち,また引率兵士の多少に対応して軍毅(ぐんき)(大毅,少毅,毅),校尉(200人引率),旅師(100人引率),隊正(50人引率)の職員と主帳が配置されていた。…
…このほか,地方官庁の管轄のもとに課された雑徭とよぶ軽い徭役があった。府兵制とは,丁男のなかから3人に1人の割合で折衝府に徴発される徴兵制の軍役であった。折衝府の数は最も多いときで634に達したが,そのうち長安と洛陽とを中心とするごく狭い地域に400府近くをおいて中央を固め,この両都を北東より北西にかけて半月形に取り囲む辺境に近い地帯におよそ200府をおいた。…
※「折衝府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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