日本歴史地名大系 「摂津国衙跡」の解説
摂津国衙跡
せつつこくがあと
        
              律令制下の摂津国の政庁。国府の一区画をなす。奈良時代には摂津国の国務は摂津職が兼帯していたが、延暦三年(七八四)に始まる長岡遷都に伴って 改
改 職名
職名 為
為 国」とあるように、摂津職を改めて摂津国とされた。したがって、厳密には摂津国府はこれ以後独立した存在になったといえる。しかし国務を執るという点では摂津職と摂津国(司)は共通しており、摂津国府は摂津職の官舎・設備を受継いだと考えられる。摂津職の所在地については、(一)難波の
国」とあるように、摂津職を改めて摂津国とされた。したがって、厳密には摂津国府はこれ以後独立した存在になったといえる。しかし国務を執るという点では摂津職と摂津国(司)は共通しており、摂津国府は摂津職の官舎・設備を受継いだと考えられる。摂津職の所在地については、(一)難波の
「日本後紀」延暦二四年一一月二〇日条に「遷 摂津国治於江頭
摂津国治於江頭 、許
、許 之」とあって、摂津国府は江頭に移されたことがわかる。
之」とあって、摂津国府は江頭に移されたことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

