摩神社
ちくまじんじや
朝妻筑摩集落の南方、磯集落寄りの琵琶湖岸に鎮座する。祭神御食津神、配神大歳神・倉稲魂神・大市姫神。旧県社。創祀時期は不詳。「興福寺官務牒疏」には「孝安天皇廿八丙辰年四月降臨神、大歳神・宇賀魂神也」とある。なお筑摩の古訓はツクマで、近代の一時期都久麻神社と称した(坂田郡志)。
〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉
〔古代・中世〕
仁寿二年(八五二)三月八日筑摩神は従五位下を授けられたが(文徳実録)、「延喜式」神名帳には登載されていない。前掲官務牒疏に承和八年(八四一)奈良興福寺の別所となるとあるが、興福寺との関係が生じたのは、延久二年(一〇七〇)筑摩御厨が停止されて以後のことであろう。興福寺別当に宛てた建久二年(一一九一)九月一三日の源頼朝寄進状(社蔵文書)によると、当時「筑摩三所社」は荒廃しており、興福寺範雅の望みにより佐々木太郎定綱に命じて再建、「伊勢国丹生郷拾弐ケ荘」を神領として寄進している。
摩神社
つかまじんじや
[現在地名]松本市筑摩
筑摩村の中央に南面する神社。旧県社。「信府統記」に「八幡宮 社地東西九拾七間、南北五拾五間、拝殿三間半ニ五間、湯立殿三間ニ五間、神楽屋三間ニ四間、玉垣ノ内ノ末社神明・春日・天王、玉垣南西十七間、南北廿二間、末社 子安明神、熊野権現、愛宕権現、天神、山王、鐘楼堂九尺ニ九尺、舞台三間ニ二間、当社ハ正八幡宮勧請ノ地ナリ、草創の年代知レル人ナシ」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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