改訂新版 世界大百科事典 「放送番組」の意味・わかりやすい解説
放送番組 (ほうそうばんぐみ)
公的な定義としては放送法2条に,〈放送番組とは,放送をする事項の種類,内容,分量及び配列をいう〉という規定がある。1950年の放送法制定時にはこういう定義でよかったのだろうが,その後の放送界での普通の用法では,配列は〈番組編成〉と呼ばれ,ある放送局の放送全体を編成する際の単位を〈放送番組〉という。一般に放送番組は,番組名をもち,開始と終了の表示ではさまれた時間枠のあいだ放送される。逆にいうと,時報やコマーシャル,あるいは主番組に白抜きで重ねられる時刻表示や臨時ニュースなどは,放送番組に含めないことが多い。敗戦後の占領時代にアメリカの方式が導入され,曜日と時刻で番組を固定する番組編成が普及し,時間枠は15分単位のクオーター制になった。もちろん3分,5分の短い番組もあるし,中継放送が予定時刻をこえて延長される例や12時間ドラマなどもある。
番組の分類
(1)番組を内容で大別すると,報道,教育,教養,娯楽になる。放送法はNHKに〈国内放送の放送番組の編集に当っては……教養番組又は教育番組並びに報道番組及び娯楽番組を設け,放送番組の相互の間の調和を保つようにしなければならない〉と規定し(44条4項),この規定は民放局にも準用される(51条)。民放テレビ局の教育・教養番組については,教育専門局として1957年2月に予備免許を受けた日本教育テレビには教育番組53%以上,教養番組30%以上を義務づけたし,同年10月に予備免許のあった準教育専門局3局(読売テレビ,毎日放送,札幌テレビ放送)には教育・教養番組50%以上という条件がついた。このとき同時に予備免許を受けた一般テレビ局にも,教育・教養番組30%以上という条件がつけられた。62年11月予備免許の日本科学技術振興財団の科学技術教育専門局(通称,東京12チャンネル)には,科学技術教育番組60%,その他の一般教育番組15%の放送を基準にするよう電波法で義務づけた。ただしこのように教育・教養番組を多く放送する特別のテレビ局をつくろうとした放送行政は,まったくの失敗に終わり,一般局の華々しい繁栄の谷間で5局すべてが経営不振に泣いた。そこで郵政省は67年11月の再免許にあたり,全テレビ局に教育・教養番組30%以上を電波法で義務づけるとともに,準教育専門局3局を一般局に転換させ,つづいて73年11月には残る2局も教育20%以上,教養30%以上という条件つきながら一般局に転換させた(日本教育テレビはテレビ朝日に,東京12チャンネルはテレビ東京に,それぞれ改称した)。しかしテレビ放送の現状をみると,免許条件どおりの番組比率を厳守している民放局がいくつあるか疑わしい。ところがふしぎにも,局が郵政省に提出する報告書の数字では,条件は守られている。それは,たとえば興味本位の身の上相談であっても,市民のための教育番組,教養番組だと主張し,そこに分類できるからである。しかも〈利用と満足〉研究と呼ばれる受け手調査が示すように,お涙ちょうだい式のメロドラマを人生の教訓として,つまり教育番組として見ている人もたしかにいる。国会中継を娯楽番組として楽しめる人,楽しめるときもある。結局は,だれがどういう基準で分類するかによって分類結果が大きく変わることになり,この点が内容による番組分類の問題点である。
(2)放送区域で分類すると,まず国際放送番組と国内放送番組があり,後者はさらに全国中継番組(NHK内の略語で〈全中〉),ブロック(管区)中継番組(〈管中〉),ローカル番組に分かれる。放送法は国際放送(海外放送)をNHKに実施させ(9条の2。ラジオ・ジャパン),44条のなかで〈全国向け放送番組のほか,地方向けの放送番組を有するようにすること〉をNHKに求めている。そしてこの規定は民放には準用されていない。その理由は,放送法制定の1950年前後には民放局は地域社会に密着した放送を重点にすべきで,〈全国向け番組とローカル番組のNHK,ローカル番組が重点の民放〉と位置づけられ,民放局はネットワーク(放送網)を形成すべきではないと考えられていたからである。
このほか,(3)ジャンル別(ドラマ,スポーツ,バラエティ,ドキュメンタリーなど),(4)制作形態別(中継番組,スタジオ番組,フィルムなど),(5)放送形態別(生番組,VTR番組など),(6)制作体制別(自社制作,プロダクション制作など)の分類がある。
番組の自由と規制
放送法3条は〈放送番組編集の自由〉と題され,〈放送番組は,法律に定める権限に基く場合でなければ,何人からも干渉され,又は規律されることがない〉と規定している。このように外部からの干渉・規律を厳しく排除し,放送局の番組活動の自由を手厚く保障したうえで,放送法は,良質の番組を確保するための自主規制を放送局に求めている。すなわち番組を制作・編成する際の最低限の倫理的要請として44条3項で,〈一 公安及び善良な風俗を害しないこと,二 政治的に公平であること,三 報道は事実をまげないですること,四 意見が対立している問題については,できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること〉の四つを示している。この要請はNHKをも民放をも拘束している。さらに放送法はNHKに対し,国内番組基準を定めて公表することと,常識経験者による中央放送番組審議会と地方放送番組審議会(関東甲信越,東海北陸,近畿,中国,四国,九州,東北,北海道の八つ)を置くこと,国際番組基準を定める国際放送番組審議会を置くことを,また民放各局に対しても番組基準の策定と放送番組審議機関の設置とを,それぞれ義務づけている。また以上のような法的義務とは別に,ほとんどの放送局が,考査室,審査部などの名称の社内機構や,社外に委嘱する番組モニター制などをもっていて活用している。
ただし現実には,外部からの干渉・規律が少なくない。すべての放送局が,郵政大臣の免許・再免許なしには開設も存続もできないという形で,政治権力に死活の急所を握られているからである。そのうえNHKには,受信料額を含む予算の国会承認や,会長および経営委員の任免などを通して,政治の影響を受けやすい体質がある。それでも1950年代までは,三木鶏郎の風刺番組《日曜娯楽版》がワンマン首相・吉田茂の逆鱗に触れて,52年6月からは風刺性の弱い《ユーモア劇場》に変えられ,それも造船疑獄を扱って政府の攻撃を招き,54年6月消滅したのが注目される程度である。ところが安保闘争を経過した60年代に入ると,テレビ時代の本格化とあいまち,テレビ番組への攻撃・干渉がめだつようになった。代表的な例としては,62年11月RKB毎日(福岡)で起こったドラマ《ひとりっ子》の放送中止事件(スポンサーの東芝,防衛庁,右翼らの圧力があった),62年10月から66年8月まで200回放送される間に20回近いトラブルのあった日本教育テレビのドラマ《判決》シリーズ(税制を扱った《老骨》,教科書問題の《佐紀子の庭》などは放送中止),佐藤内閣の橋本官房長官が日本テレビ社長に〈残酷すぎる〉と電話したので第2部,第3部の放送が中止された65年5月の《ベトナム海兵大隊戦記》などがある。70年代の放送番組は,おおむね平穏無事だった。何も起こらなかったというより,起こらないようにする悪い意味での〈自主規制〉や管理体制が徹底したせいであったろう。それだけに1967年6月発足の日本広報センターや68年3月設立の広報番組センターを利用した,あるいは電通や博報堂などが一枚かんだ,政府PR番組の増加がめだった。81年2月4日のNHK《ニュースセンター9時》は,〈ロッキード事件5年〉を特集した。ところがその特集のうち三木元首相にインタビューした部分が,オンエア直前になってカットされてしまった。これについて,NHKは公式には外部からの政治圧力を全面否定し,みずからの自主判断によるものだと説明している。
このように,巧妙隠微な政治圧力は自主規制のように現象するし,自主規制にしても放送局の内部に告発の意思がないところまで徹底されると外には漏れなくなってしまう。放送番組が社会や政治の現実を批判する勇気をもち,平和と進歩のためのメディアとして機能を存分に発揮するためには,その絶対の自由を保障する気運が局の内外に絶えず渦まいている必要がある。
執筆者:岡村 黎明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報