教信寺(読み)きようしんじ

日本歴史地名大系 「教信寺」の解説

教信寺
きようしんじ

[現在地名]加古川市野口町野口

門前を旧山陽道が通る。念仏山と号し、天台宗。本尊阿弥陀如来。寺名は教信終焉の地にちなむ。「日本往生極楽記」によると勝尾かつお(現大阪府箕面市)の住僧勝如を訪れた教信は、今日自分は往生を遂げるが、明年の今夜には勝如が臨終を迎えると告げた。不思議に思った勝如は、翌日弟子を教信のもとに遣わしたところ事実であったという。これを「帝王編年記」は貞観六年(八六四)八月一五日の夜とし、「峯相記」と播州念仏山教信寺縁起(智恵袋)は貞観八年八月一五日の夜とする。同縁起によると、建長七年(一二五五)後深草天皇は八町の地に伽藍(本堂弥陀殿・来迎堂・開山堂・三重塔・地蔵塔・護摩堂・十王堂・弁天社・山王祠・鐘楼・宝蔵・浴室・閼伽井・僧房四八院)建立して高三〇〇石を与え、播磨の浄土系諸寺に毎年八月七日から一五日まで法会を修することを勅し、一五日には聖衆来迎の儀式を行うこととした。


教信寺
きようしんじ

[現在地名]士別市大通東

士別市街地にある。仏海山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。明治三二年(一八九九)七月、士別と剣淵けんぶち(現剣淵町)に入地した屯田兵第三大隊の隊長更賀正三郎の依嘱によって安富無功が士別・剣淵地区の布教に従事したのに始まり、同年九月士別屯田兵有志の尽力により説教所が設置された。翌三三年一一月に真宗大谷派説教所として正式に認可され、同四二年七月に寺号公称を認められた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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