歌舞伎狂言の一系統。明治初年の新風俗を採り入れた世話物で散切狂言ともいう。断髪廃刀の自由が認められたのは1871年(明治4)8月で,旧幕時代からの丁髷(ちよんまげ)を切って散切頭が現れはじめた。同時に西欧からの新しい文物が入ってきて服装,持物なども変化した。こうした新風俗の人物が登場する歌舞伎作品を〈散切物〉といった。その最初の作は中村正直訳《西国立志編》中の挿話を佐橋富三郎が脚色した《鞋補童教学(くつなおしわらべのおしえ)》と《其粉色陶器交易(そのいろどりとうきのこうえき)》で,72年11月京都で初演された。東京では翌年11月守田座初演の河竹黙阿弥作《東京日(にちにち)新聞》が最初である。9世市川団十郎が推進した活歴劇運動との対抗上5世尾上菊五郎が散切物の上演に熱心であった。すぐれた作は河竹黙阿弥のものが多く,代表的作品に《人間万事金世中》《綴合於伝仮名書(とじあわせおでんのかなぶみ)》(ともに1879),《霜夜鐘十字辻筮(しもよのかねじゆうじのつじうら)》(1880),《島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)》(1881),《水天宮利生深川》(1885),《月梅薫朧夜》(1888)などがあげられる。これらの作品は作中に新しい風俗,用語などが採り入れられている点はたしかに目新しいが,作劇上は旧来の歌舞伎世話物の手法をそのまま踏襲しており,思想上でもやはり旧幕世話物の域を出ず,新時代劇ないしは現代劇とはなりえなかった。
執筆者:林 京平
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歌舞伎(かぶき)脚本用語。世話物のうち、明治初期の新しい世相、風俗を背景にした作品。維新以後の文明開化の象徴として、1871年(明治4)の散髪令で生まれた散切頭の人物が登場するので、この名がある。72年11月、中村正直(まさなお)訳の『西国立志編(さいごくりっしへん)』を佐橋富三郎が脚色した『鞋補童教学(くつなおしわらべのおしえ)』『其粉色陶器交易(そのいろどりとうきのこうえき)』をそれぞれ京都南側と北側の芝居で上演したのが初めで、東京での最初は翌年11月守田座上演の河竹黙阿弥(もくあみ)作『東京日(にちにち)新聞』。その後も黙阿弥が主として5世尾上(おのえ)菊五郎のため、『富士額男女繁山(ふじびたいつくばのしげやま)(女書生)』『霜夜鐘十字辻筮(しもよのかねじゅうじのつじうら)』『木間星箱根鹿笛(このまのほしはこねのしかぶえ)』『島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)』『水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)(筆幸)』などの名作を執筆。黙阿弥の門弟たちもいくつか書いたが、これら散切物は新風俗の外形を写すだけで、作劇法や演出は旧来の世話狂言と変わらなかったので、1900年(明治33)以降は新しく勃興(ぼっこう)した新派劇に座を奪われて廃れた。
[松井俊諭]
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歌舞伎戯曲のうち,散切頭に象徴される明治維新以後の新風俗に取材したもの。1872年(明治5)京都で中村正直訳「西国立志編」が脚色されたことに影響をうけ,翌年河竹黙阿弥は「東京日(にちにち)新聞」を書き,以後20余編の散切物を残す。同時に97年頃までに関西でも散切物が流行した。当世の風俗を写すのが現代劇である世話物の使命であったが,これらは旧来の歌舞伎の手法をでず,結局歌舞伎の古典化を招くこととなった。
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…〈活歴〉とは〈活きた歴史〉の意味で,かつてのような類型化された人物創造を廃し,性格や心理描写に力を入れた。一方,5世尾上菊五郎を中心に,従来の世話物の方法を用いながら,明治の新社会の世相や風俗を写そうとする〈散切物(ざんぎりもの)〉が生まれた。黙阿弥が筆を執ったのである。…
※「散切物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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