韓国の政治家。第19代大統領(任期2017~2022)。慶尚南道(けいしょうなんどう/キョンサンナムド)巨済島(きょさいとう/コジェド)生まれ。両親は朝鮮戦争(1950~1953)によって北朝鮮の興南(こうなん/フンナム)(現在の咸鏡南道(かんきょうなんどう/ハムギョンナムド)咸興(かんこう/ハムフン))から巨済島に脱出した避難民であった。1972年、慶熙(キョンヒ)大学法学部入学。1975年、朴正熙(ぼくせいき/パクチョンヒ)政権に反対するデモを大学で行い逮捕。執行猶予判決後、軍隊に強制徴集された。1978年、除隊。1980年、民主化実現の機運が高まった「ソウルの春」により慶熙大学復学。同年、司法試験合格。合格の報は光州事件による非常戒厳令で予備検束されていた留置所の中で聞いた。1982年、弁護士になり、盧武鉉(ろぶげん/ノムヒョン)と法律事務所を構えて、全斗煥(ぜんとかん/チョンドファン)政権時代の民主化運動に参加した。
2002年、盧武鉉が革新勢力側の候補として大統領選挙に出馬したときに釜山(プサン)地域選挙対策本部長を務め、2007年、盧武鉉の大統領秘書室長に就任。「盧武鉉の影法師」といわれ、同年の南北首脳会談のときには準備委員長として、朝鮮戦争に関係する国が終戦宣言をして、恒久的平和体制をつくることを目ざした。2009年、盧武鉉が不正献金疑惑によって自死すると、盧武鉉を追悼する盧武鉉財団理事、翌2010年に理事長に就任した。
2009年、金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)から政界進出を勧められ、政権交代をゆだねられた。2012年の国会議員総選挙に革新系の民主党から出馬し、当選。ついで同年の大統領選挙に立候補した。選挙では保守系の朴槿恵(パククネ)に敗れたが、投票者のうち20代から40代の年齢層では文在寅の支持率のほうが高かった。
その後、野党議員として活動したが、2016年には大統領の朴槿恵退陣要求を掲げた「ろうそくデモ」に参加し、2017年5月、朴槿恵失職による大統領選挙に「共に民主党」から出馬して当選した。2位の保守系候補の洪準杓(ホンジュンピョ)(1954― )との票差は、それまでの韓国大統領選挙史上最大であった。
2017年5月、大統領に就任。「ろうそくデモ」を背景にした政権の優先課題は積弊清算、南北対話、経済、雇用、民生であった。
文在寅のいう積弊清算とは親日保守勢力を一掃して、あるべき「正義」を回復することで、歴史清算の一環として光州事件の精神を継承し、済州島四・三事件(済州島事件)の解決を図った。朴槿恵政権の政策の多くが撤回、見直され、日韓合意で創設された慰安婦財団を解散させ、朴槿恵政権時代に司法介入が行われた徴用工問題についても、裁判の結果を尊重するとして積極的な解決を図ろうとしなかった。このため日韓関係は大幅に悪化した。また、検察改革を行い、2021年に高位公職者犯罪捜査処を設置した。
南北対話は2018年、冬季オリンピック平昌(ピョンチャン)大会をきっかけに南北関係が改善したことを背景に、3回にわたり南北首脳会談を行い、1回目の会談では核なき朝鮮半島の実現を目ざした「板門店(はんもんてん/パンムンチョム)宣言」を出した。さらに、米朝首脳会談を仲介した。また、南北経済協力を推進しようとした。
経済面では、財閥主導の成長重視の経済戦略よりも、賃金引上げと所得の上昇による消費拡大を重視して、最低賃金の大幅引上げや労働時間の短縮を図った。エネルギー分野では石炭火力発電所削減、脱原発政策をとった。
[武井 一 2022年8月18日]
(南 文枝 ライター/2017年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
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