朝鮮民主主義人民共和国の東北部沿岸の都市。人口70万9730(1993)。1960年までは咸鏡南道の主都であったが,現在は四直轄市の一つ。東朝鮮湾の北部に広がる日本海沿岸最大の咸興平野の東縁に位置する北朝鮮第一の化学工業地帯。咸興の本拠地は城川江の河口から10kmほど上流に位置し,李朝時代には東北朝鮮の軍事上の要地として観察使が置かれた。また咸興は李朝の太祖李成桂の出身地にあたり,盤竜山麓には彼の住居や孔子廟などの遺跡が今日も保存されている。咸興平野の農業地帯を背景に商業都市として発達し,とくに穀物や牛の市がにぎわったところである。日本植民地時代の1928年に咸鏡線(元山~会寧)が開通すると,中間の主要駅となり,北方奥地の蓋馬(かいま)高原方面に至る産業鉄道の発着点となった。29年以後赴戦江および長津江の二大水力発電所が完成すると,これを基礎に隣接の興南地域に野口財閥(野口遵(したがう))によって大型の窒素肥料工場をはじめ各種の化学工場が建設されるようになり,またたくまに北朝鮮最大の重化学工業地帯に発達した。朝鮮戦争によって興南の諸工場は壊滅的な被害を受けたが,戦後,ソ連や東欧諸国の支援を受けて復旧された。60年に咸興は興南等周辺の地域を合併,大拡張して9区域から構成される直轄市に昇格した。その後,ビナロン(ビニロン)などの化学繊維工場,大型設備を製作する竜城機械工場などを次々に建設し,化学製品と重機械を中心とする北朝鮮の重化学工業基地に成長した。
執筆者:谷浦 孝雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
北朝鮮、咸鏡南道(かんきょうなんどう/ハムギョンナムド)の道都。同国屈指の重化学工業都市。市街地は城川江左岸にあり咸興平野の東部を占めている。1960年、都市行政区画の改編によって興南市、退潮郡、咸州郡を編入して広域市制をとっている。
咸興は古い都市であるが、農産物や水産物の集散と定期市(いち)で知られた関北地方の経済的中心地であった。1927年野口コンツェルン(日窒(にっちつ)コンツェルン)が進出し、赴戦江(ふせんこう/プチョンカン)、長津江(ちょうしんこう/チャンチンカン)に水力発電所をつくり、南東部の本宮や興南に石灰窒素、硫安を製造する化学肥料工場と火薬工場を新設し、一躍重化学工業地帯に変貌(へんぼう)させた。しかし朝鮮戦争の戦禍にあい灰燼(かいじん)に帰した。戦後、装いを新たにして再建され、化学肥料のほか塩化ビニル、フェノール樹脂、ビニロンを生産し、北朝鮮の重化学工業の中心的生産基地となった。市内には国立博物館、科学院咸興分院、咸興医大、化学大学がある。
[魚 塘]
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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