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朴槿恵 ぱくくね

知恵蔵の解説

朴槿恵

韓国の第18代大統領。保守系セヌリ(旧ハンナラ)党に所属する。2012年12月の大統領選挙で、民主統合党文在寅(ムン・ジェイン)を破り、翌13年2月25日に就任。東アジアでは初めての女性大統領である。
1952年、韓国慶尚北道(キョンサンプクト)大邱(テグ)市で元大統領・朴正煕(パク・チョンヒ)の長女として生まれた。キリスト系の中・高校から、西江大学電子工学科に進学。首席で卒業後、フランスのグルノーブル大学に留学した。留学中の74年、母・陸英修(ユク・ヨンス)が暗殺されると、22歳の若さでファーストレディーの役を継承。しかし79年、今度は父・朴正煕大統領が側近の中央情報部(KCIA)部長・金載圭(キム・ジェギュ)によって射殺される。このとき発した第一声「前線(北緯38度線)に異常はありませんか」は、政治家・朴槿恵の資質を評価する言葉として、しばしば採り上げられる。
その後、嶺南大学の理事を務めるなど、政治の一線から身を引いていたが、97年に起こったアジア通貨危機をきっかけに政界に復帰。同年末に行われた大統領選で、ハンナラ党・李会昌(イ・フェチャン)候補の支援を表明し、翌年には国会議員補選に出馬した。劣勢が伝えられたが、厳三鐸(オム・サムタク)候補を破り、保守系の希望の星としてマスコミの注目を浴びることになった。2002年には北朝鮮を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)総書記との二者会談も果たしている。
04年にはハンナラ党代表に選ばれ、党内改革に着手。06年には地方選の遊説中、暴漢によって顔面を切りつけられ、60針を縫うけがを負ったが、ハンナラ党を勝利に導いた。翌年、党の大統領候補選挙に出馬するが、李明博(イ・ミョンバク)に敗れ、党内を「親李派」と「親朴波」に二分させることになった。その後、党が推進してきた首都移転計画を李大統領が反対したため、更に対立姿勢を強めた。また、12年8月李大統領の竹島(韓国名・独島)上陸も「反日のポピュリズムに過ぎない」と厳しく批判した。ただしこの発言は、日本に弱腰という批判を避けるため、大統領選挙中に修正している。国内外で「選挙の女王」「韓国のサッチャー」「アジアのメルケル」などの異名をとる。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2013年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル大辞泉の解説

パク‐クネ【朴槿恵】

[1952~ ]韓国の政治家。第18第大統領。朴正煕の長女。両親の暗殺後、学校理事長などを経て、1998年にハンナラ党から国会議員に当選。後継のセヌリ党から2012年の大統領選に出馬して勝利した。翌年、女性初の大統領に就任したが、友人女性を国政に介入させたとして2016年に国会の弾劾決議を受けて職務停止。2017年3月、憲法裁判所の罷免決定で失職。同月、収賄容疑などで逮捕された。ぼくきんけい。→ムンジェイン

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百科事典マイペディアの解説

朴槿恵【ぼくきんけい】

韓国の政治家。大韓民国第18代大統領(2012年2月就任)。大邱に生まれる。朴正煕元大統領の長女。1974年西江大学校電子工学科卒業。1974年母の陸英修が暗殺されたため,朴正煕大統領が暗殺された1979年まで,ファーストレディ役を務めた。
→関連項目河野談話

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知恵蔵miniの解説

朴槿恵

大韓民国(韓国)の女性政治家。1952年2月2日、韓国の第5~9代大統領・朴正煕の長女として生まれる。74年、母親が暗殺(文世光事件)されて以降、父親が79年に殺害(朴正煕暗殺事件)されるまでファーストレディーとして補佐した。98年、国会議員となり、軍事政権の流れを汲む保守派ハンナラ党の要職を歴任。2004年、ハンナラ党党首に就任した。12年8月、大統領予備選に出馬、圧倒的大差でセヌリ党(旧ハンナラ党)の大統領候補に選出される。同年12月19日、韓国大統領選が行われ、民主統合党の文在寅を僅差で破り、13年2月、韓国初の女性大統領に就任する。

(2012-12-21)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朴槿恵
ぼくきんけい / パククネ
(1952― )

韓国の政治家。第18代大統領。セヌリ党代表。韓国初の女性大統領。父親は第5~9代大統領朴正煕(ぼくせいき/パクチョンヒ)
 1952年慶尚北道(けいしょうほくどう/キョンサンプクド)大邱(テグ)生まれ。韓国陸軍大佐の朴正煕と、陸英修(ユクヨンス)(1925―1974)の間に生まれる。1963年、朴正煕の第5代大統領就任後は大統領公邸である青瓦台(せいがだい/チョンワデ)で生活する。1970年、西江(ソガン)大学校電子工学科に入学。1974年文世光(ぶんせいこう/ムンセグァン)事件で母が殺害されると、留学先のフランスから帰国し、1979年に朴正煕が殺害されるまで、ファーストレディー役を務めた。父の死後はソウル市内で生活し、陸英(ユギョン)財団理事長、嶺南(ヨンナム)大学校理事長、韓国文化財団理事長などを務める。
 1997年、保守系政党のハンナラ党に入党。2004年から2006年までハンナラ党党首を務める。2007年、ハンナラ党の次期大統領選候補として李明博(りめいはく/イミョンバク)と候補を争ったが敗退。その後、ハンナラ党内では李明博系議員と朴槿恵系議員の対立が続いた。2011年、ソウル市長選挙による党内運営の混迷をきっかけとして、事実上の党代表にあたる非常対策委員会委員長となり、ハンナラ党をセヌリ党と改称。2012年2月の総選挙でセヌリ党を単独過半数の第一党へ導き、大統領候補としての道を開いた。
 2012年8月、李明博の政策との違いを強調してセヌリ党の次期大統領選候補に選出された。その政策目標は、経済民主化、韓国型福祉、雇用創出などであった。同2012年12月に行われた大統領選挙は左派の民主統合党の文在寅(ムンジェイン)(1953― )との事実上の一騎打ちであったが、朴槿恵は危機を克服できる「準備された大統領」をスローガンに闘い、得票率51.6%の僅差(きんさ)で勝利。2013年2月、第18代大統領に就任した。
 政権の目標は「希望の新時代を開く」ことで、それは、国民各自の夢がかなえられ、各自が人生の主人公になりうる国家をつくるということである。経済復興、国民回復、文化隆盛という選挙の公約どおりの政策の柱は、父、朴正煕大統領時代以来1996年ごろまで続いた急速な経済発展である「漢江(かんこう/ハンガン)の奇跡」になぞらえた「第二の漢江の奇跡」を起こすことである。北朝鮮に対しては非核化を、日本に対しては歴史認識の是正を求め、とくに竹島問題や、従軍慰安婦問題では強硬な姿勢を貫いている。[武井 一]

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