文阿弥(読み)もんあみ

  • 文阿弥 ぶんあみ
  • 文阿弥 もんあみ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]?
[没]永正14(1517).11.11.
室町時代の立て花作者室町幕府同朋庵号は綉谷庵。作品に感情をよく表現した作家といわれ,文阿弥の伝書とされるものが数種伝存する。弟子に月谷老人,宣阿弥,正阿弥などがいる。文阿弥後の記事に文阿弥が出るのは別人後継者

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

?-1517 室町-戦国時代の華道家。
足利将軍家につかえた同朋(どうぼう)立花(りっか)の名手で,大沢久守と交流した。景徐周麟(しゅうりん)の「綉谷庵(とうこくあん)文阿弥肖像賛」にその芸風がしるされ,「文阿弥花伝書」と総称される伝書が数種ある。永正(えいしょう)14年11月11日死去。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

室町時代の「たてはな」(初期のいけ花)の名手。文阿弥と名のる人物は2名ないし3名いたと推測される。初代文阿弥は同朋衆(どうぼうしゅう)として足利(あしかが)将軍に仕え、その技術について禅僧の景徐周麟(けいじょしゅうりん)が記した「綉谷庵文阿弥肖像賛(とうこくあんもんあみしょうぞうさん)」(『翰林胡蘆集(かんりんころしゅう)』第11巻)がある。それによると喜びの席といい悲しみの場所といい、それぞれの雰囲気に応じた花が立てられ、王侯貴戚(きせき)といった身分の高い人たちが愛重してやまなかったとある。文阿弥は山科言国(やましなときくに)の雑掌(ざっしょう)でたてはなに優れた大沢久守(ひさもり)とも交流をもち、斯波(しば)家の花会で久守とも、たてはなしていることが『山科家礼記(やましなけらいき)』にみられる。たてはなを通して親交のあった公家(くげ)の鷲尾隆康(わしおたかやす)がその日記『二水記(にすいき)』に文阿弥の1517年(永正14)11月11日の死亡を記しており、したがって同日記の1526年(大永6)以後に現れる文阿弥は2世とみなされる。文阿弥の筆による『文阿弥花伝書』は阿弥系のいけ花を伝える貴重な伝書といえる。

[北條明直]

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