山科言国(やましなときくに)の雑掌(ざっしょう)で花の名手。1467年(応仁1)長門守(ながとのかみ)に任官し、宮中内蔵寮(くらりょう)の目代(もくだい)、山科家領の代官を兼ねた。『山科家礼記(らいき)』のなかで康正(こうしょう)3年(1457)から延徳(えんとく)4年(1492)までは久守の日記記述で、山科家の荘園(しょうえん)の年貢の取り立てや、自己のことを記している。文明(ぶんめい)9年(1477)の7月23日の条に「弟子分状を被出也(いだされるなり)」とあり、いけ花の弟子をもつことが知られ、また長享(ちょうきょう)2年(1488)ごろから禁中で花を立てた記録もみえるが、いけ花師としての業績は明らかでない。おそらく公卿(くぎょう)社会で花を立てる名人であったと想像される。
[北條明直]
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[立花の成立]
座敷飾の花として立花が成立したのは,室町中末期のことであって,立花の専門家が登場して将軍邸や禁裏において花を立てはじめ,それに従って法式がしだいに定められるようになった。《蔭涼軒日録》に見るように,立阿弥や台阿弥といった人々,また《碧山日録》に記される連歌師としても著名な池坊専慶,《言国卿(ときくにきよう)記》における山科家の雑掌,大沢久守などは,依頼を受けて花を立てた専門家の代表であるとみてよい。室町期の立花の様相を伝える《仙伝抄》に谷川流と記載のあるのは,公家邸において花を立てた谷川入道某の伝であろうし,これらの人々の活躍によって草創期のいけばなは,立花という法式を備えたいけばなを出現させる。…
※「大沢久守」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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