改訂新版 世界大百科事典 「新田検地条目」の意味・わかりやすい解説
新田検地条目 (しんでんけんちじょうもく)
江戸幕府が1726年(享保11)8月に発布した法令。32ヵ条。幕府は享保改革において年貢収奪の強化を意図した新田開発を積極的に推進する政策をとり,1722年江戸日本橋に新田開発を奨励する高札をかかげ,新田開発の資本を広く民間に求めた。ついで発布されたのが新田検地条目である。新田検地条目は第1条から第4条までは検地をうける村方での準備に関する規定であり,第5条からは検地の施行にあたっての地主,作人,反別,等級などの決定方法およびそれらにともなう雑則からなる。従来の検地条目と比較して検地竿の入れ方,田畑の見分など検地技術の細密化がみられ,開発した新田から少しでも多くの年貢を取ろうという姿勢がでている。また田畑の位付けも,従来の上々,上,中,下,下々の5等級から上,上之下,中,中之下,下,下之下,見付の7等級に分けている。しかし,年貢増徴策として登場した新田検地条目は田畑の質流れや譲渡を容認する規定をも含んでおり,質地関係を中心に進展しつつあった地主・小作関係を法制的に裏づけ,地主の権利を保証する内容をもつ法令であった。享保の新田検地条目が最初に適用された新田検地は下総国の飯沼新田であり,27年10月から翌年春にかけて新田検地が実施され,新田総面積は1525町歩余であった。なお,35年5月に31ヵ条からなる越後国紫雲寺潟新田検地条目が発布されているが,新田検地条目と若干の差異があるだけで検地実施要項に基本的な変更はみられない。
執筆者:佐藤 常雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報