新貝村(読み)しんがいむら

日本歴史地名大系 「新貝村」の解説

新貝村
しんがいむら

[現在地名]浜松市新貝町など

鶴見つるみ輪中のうち北長十郎きたちようじゆうろう新田の北に集落を構える。村域は天竜川の西岸にも及び、延宝(一六七三―八一)頃の青山氏領分絵図には西新貝村とある。中世かば御厨に属し、新開・新開村などとみえる。寛喜三年(一二三一)以前の源氏女申状(民経記寛喜三年三月記紙背文書)にみえる「飯田郷内新開田」は当地にあたると推定される。伊勢神宮領新開田の地頭職は源親家が相伝し、給主職は伊勢内宮二禰宜成定が伝領していたが、蒲御厨の給主親基らが加納である飯田いいだ郷の新開田を本御厨のうちと号して掠め取っているとして、成定から譲り受けた源氏女はその押領停止を求めている。


新貝村
しんがいむら

[現在地名]磐田市新貝

稗原ひえばら村・鍬影くわかげ村の北、太田おおた川西岸平野部および磐田原台地東部にある。西は西貝塚にしかいづか村、南西は東貝塚村。山名やまな郡に属する。貞治元年(一三六二)頃とみられる一〇月一九日の西園寺実俊施行状(熊野速玉神社文書)に添えられた紀伊熊野山新宮造営料所注文にみえる「新開郷」一三石四斗九升二合を当地に比定する考えもある。正保郷帳では高五五五石余、幕府領


新貝村
しんがいむら

[現在地名]安心院町新貝

船板ふないた村の南、新貝川流域に位置する。中山なかやま谷の中央にあたり、南はさかいつぼ村。新開しんがい庄の遺称地といい、字夕弱ゆうじやくは用作の変化した地名とされる。近世領主変遷妻垣つまがけ村に同じ。小倉藩元和人畜改帳では新開村とあり、高一一八石余、人数一三、百姓二(うち小庄屋一)、牛一。「四日市村年代記」では延宝二年(一六七四)に松木組二二ヵ村のうちに新戒村がみえる。


新貝村
しんがいむら

[現在地名]大分市新貝・新栄町しんさかえまち原新町はるしんまち日吉町ひよしまち

肥後街道と合流した伊予街道沿いに萩原はぎわら村の東に位置する。元和九年(一六二三)松平忠直領、寛永一五年(一六三八)中津留藩(のち高松藩)領となる。正保郷帳に新開村とみえ田高一四八石余・畑高一五石余、高田たかた庄に所属。明暦四年(一六五八)高松藩主松平(大給)忠昭の府内入部の際幕府領になり(同年「御取ヶ郷帳」府内藩記録など)、天和二年(一六八二)から貞享三年(一六八六)の日田藩領時代を除いて正徳二年(一七一二)まで幕府領(寛文五―六年肥後熊本藩預地)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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