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蒲御厨 かばのみくりや

百科事典マイペディアの解説

蒲御厨【かばのみくりや】

遠江国長上(ながかみ)郡の伊勢神宮領。現静岡県浜松市東部。当地の開発領主の子孫蒲氏が,平安時代に伊勢神宮内宮(ないくう)に寄進して成立。地頭職は南北朝時代に高師泰が有していたが,高氏滅亡後は幕府料所となった。
→関連項目源範頼

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世界大百科事典 第2版の解説

かばのみくりや【蒲御厨】

遠江国長上郡(現,静岡県浜松市)の御厨。田数550町。平安時代に蒲神社の神主蒲氏が開発した所領を伊勢内宮に寄進,蒲氏は惣検校職を伝領した。鎌倉時代には北条氏が地頭職に補任され,蒲氏は地頭代をつとめた。1333年(元弘3)没収された地頭職は岩松経家に与えられ,高師泰に移ったが,91年(元中8∥明徳2)足利義満がこれを東大寺に寄進した。東大寺は年貢として定役銭,麦代,米代,大豆代,小済物などのほか在家役,町屋銭を収取。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蒲御厨
かばのみくりや

平安時代以来、遠江(とおとうみ)国にあった伊勢(いせ)神宮の御厨。現在の静岡県浜松市の南東部にあたる。西に浜松庄(しょう)の引間(ひくま)宿、東に池田庄(松尾社領)の池田宿があり、交通の要衝にあった。初め天竜川は池田庄の東を流れたが、河道の変遷により、南北朝時代には池田庄の西、蒲御厨の東を流れて現在に至っている。御厨は大きく東方・西方に分かれており、西方にあった蒲神明(しんめい)社が伊勢神宮の現地経営の拠点であった。蒲神明社検校(けんぎょう)はこの地の開発領主の後裔(こうえい)とみられ、免田(めんでん)をもち、神供田(じんぐでん)を支配するとともに、鎌倉時代には地頭(じとう)北条氏のもとで代官を勤めた。やがて1391年(元中8・明徳2)に足利義満(あしかがよしみつ)が地頭職(じとうしき)を東大寺に寄進した。東大寺のもとで室町中期には守護斯波(しば)氏の被官応嶋(おうじま)(越前(えちぜん)の国人(こくじん))や三河(みかわ)吉良(きら)氏の被官大河内(おおこうち)などが代官職を請け負い、御厨西方および東方の諸公文(くもん)の動きと相まって複雑な情況を示した。東大寺への年貢は麦109石余、豆176石余、定役(じょうやく)(実体は不明)125貫余などが主たるもので、米は少なく畑作が優越していた。1456年(康正2)に起こった蒲諸公文百姓らの引間市(いち)土倉襲撃事件は、徳政一揆(いっき)として著名である。[大山喬平]

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世界大百科事典内の蒲御厨の言及

【遠江国】より

…また浜名湖の〈引佐細江〉などは《万葉集》にみえ,伝空海作《遠江浜名淡海図》(漢文)には平安初期の姿が活写されている。平安時代の荘園として,関白藤原頼通領笠原荘,円勝寺領質侶(しどろ)荘などのほか,蒲御厨(かばのみくりや)をはじめとする伊勢神宮領が国内に多数置かれた点に特色がある。【原 秀三郎】
【中世】

[鎌倉~室町期]
 源頼朝は1180年(治承4)8月に伊豆で挙兵し,10月には富士川の戦で平氏軍を破り,遠江守護に安田義定を補任して,みずからは鎌倉に入った。…

※「蒲御厨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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