日頂(読み)ニッチョウ

デジタル大辞泉 「日頂」の意味・読み・例文・類語

にっちょう〔ニツチヤウ〕【日頂】

[1252~1317]鎌倉中期の日蓮宗の僧。駿河の人。通称、伊予阿闍梨あじゃり六老僧一人日蓮没後下総しもうさ真間の弘法寺ぐほうじを管し、のち養父の日常と離別し故郷に退いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日頂」の意味・わかりやすい解説

日頂
にっちょう
(1252―1317)

鎌倉時代の日蓮(にちれん)宗の僧。日蓮が滅後を託した六老僧の一人。日蓮の有力な信徒富木常忍(ときじょうにん)(1216―1299)の義子。日蓮滅後、真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)に住し、下総(しもうさ)(千葉県北部)の信徒の教導と教線の拡張にあたった。1284年(弘安7)鎌倉での宗論のため日蓮三回忌に遅参して常忍に叱責(しっせき)されたといわれ、富木邸の傍らのイチョウから許しを請うたという「泣き銀杏(いちょう)」の伝説がある。常忍との間に間隙(かんげき)を生じた日頂は、1302年(乾元1)生国である駿河(するが)国重須(おもす)(静岡県富士宮市)に帰り、その地で没したと伝えられる。

[渡邊宝陽 2017年9月19日]

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朝日日本歴史人物事典 「日頂」の解説

日頂

没年:文保1.3.8(1317.4.19)
生年:建長4(1252)
鎌倉後期の日蓮宗の僧。伊与阿闍梨という。日蓮の有力檀越(施主)富木常忍の養子。日蓮に帰依した常忍に従って日蓮の門に入る。文永8(1271)年の日蓮佐渡流罪の際には同行,給仕した。日蓮はその学識,能力を高く評価し,入滅に当たって六老僧のひとりに加えた。日蓮没後,下総(千葉県)の真間弘法寺へ赴き,教えを広めるかたわら鎌倉幕府に申し状を提出し,他宗との公の場での法論の実現と法華信仰への帰服を求めている。のち父常忍と対立,下総を離れて駿河(静岡県)の日興を訪ね,大石寺そばの重須本門寺の学頭となった。<参考文献>立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上

(佐藤弘夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日頂」の解説

日頂 にっちょう

1252-1317 鎌倉時代の僧。
建長4年生まれ。日蓮門下六老僧のひとり。日蓮の佐渡配流,甲斐(かい)身延山隠棲(いんせい)にしたがい,また下総(しもうさ)弘法(ぐほう)寺(千葉県)を拠点布教につとめた。のち養父の富木(とき)日常と不和になり,郷里の駿河(するが)(静岡県)に退隠した。文保(ぶんぽ)元年3月8日死去。66歳。通称は伊予阿闍梨(いよあじゃり)。号は伊予房。

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