早田文蔵(読み)ハヤタブンゾウ

デジタル大辞泉 「早田文蔵」の意味・読み・例文・類語

はやた‐ぶんぞう〔‐ブンザウ〕【早田文蔵】

[1874~1934]植物分類学者。新潟の生まれ。東大教授。富士山植物分布台湾インドシナの植物を調査研究し、独自の動的分類体系を提唱した。

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精選版 日本国語大辞典 「早田文蔵」の意味・読み・例文・類語

はやた‐ぶんぞう【早田文蔵】

  1. 植物分類学者。新潟県出身。東京帝国大学教授。主に台湾、タイなどの植物を研究。解剖学的・組織学的性質によって植物分類を行なうこと、また、動的分類体系を提唱した。著「台湾植物図譜」など。明治七~昭和九年(一八七四‐一九三四

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20世紀日本人名事典 「早田文蔵」の解説

早田 文蔵
ハヤタ ブンゾウ

明治・大正期の植物分類学者 東京帝国大学教授。



生年
明治7年12月2日(1874年)

没年
昭和9(1934)年1月13日

出生地
新潟県南蒲原郡加茂町

学歴〔年〕
東京帝大理科大学動植物学科〔明治36年〕卒

学位〔年〕
理学博士

主な受賞名〔年〕
帝国学士院桂賞〔大正9年〕

経歴
明治38年東京帝大助手をしながら台湾総督府嘱託となり、台湾産植物の分類を研究。43年私費でヨーロッパへ渡り植物標本を調査した。大正11年東京帝大教授に就任。また小石川植物園長も務めた。植物分類に解剖学的、組織学的性質の必要性を主張し、シダ類の中心柱に関する研究から多くの新事実を立証した。また従来の系統学や分類体系に批判的な立場から「動的分類系」という独特の体系を提唱した。著書に「台湾植物図譜」(全10巻)、「台湾山地植物誌」「台湾植物誌料」「植物分類学裸子植物篇」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「早田文蔵」の意味・わかりやすい解説

早田文蔵
はやたぶんぞう
(1874―1934)

植物分類学者。新潟県加茂町(現、加茂市)に生まれる。1903年(明治36)東京帝国大学植物学科を卒業、トウダイグサ科の分類、富士山の植物分布の研究などに携わる。1905年、台湾総督府の嘱託として台湾に渡り、植物を調査研究し、その成果を『台湾植物誌』(10巻)にまとめ(1911~1921)、1919年(大正8)帝国学士院賞を受賞した。1922年、東京帝国大学教授となる。その後、インドシナなど南方植物への関心を高め、またシダ類の中心柱を研究して新しい分類を試みたりしたが、そのなかで旧来の系統分類学に疑問を抱き、独自の「動的法式による自然分類」(1921)を提唱して論議を醸した。晩年法華経に心酔したが精神的に満たされないまま、定年を待たず没した。

[佐藤七郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「早田文蔵」の解説

早田文蔵 はやた-ぶんぞう

1874-1934 明治-昭和時代前期の植物学者。
明治7年12月2日生まれ。台湾総督府嘱託をへて,大正11年東京帝大教授。台湾の植物を調査・研究し,明治44年から「台湾植物図譜」10巻を順次刊行。動的分類系という独自の植物分類法を提唱した。大正9年学士院桂公爵記念賞。昭和9年1月13日死去。61歳。新潟県出身。東京帝大卒。著作に「植物分類学裸子植物篇」など。

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367日誕生日大事典 「早田文蔵」の解説

早田 文蔵 (はやた ぶんぞう)

生年月日:1874年12月2日
明治時代;大正時代の植物分類学者。東京帝国大学教授
1934年没

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