(読み)アサヒ

デジタル大辞泉 「旭」の意味・読み・例文・類語

あさひ【旭】[大阪市の区]

大阪市北東部の区名。昭和7年(1932)東成区から分離。昭和18年(1943)城東区都島区を分離して現区域となる。

きょく【旭】[漢字項目]

人名用漢字] [音]キョク(漢) [訓]あさひ
あさひ。「旭光旭日
[名のり]あき・あきら・あさ・てる

あさひ【旭】[横浜市の区]

横浜市北西部の区名。昭和44年(1969)保土ケ谷区から分離。

あさひ【旭】[千葉県の市]

千葉県北東部、九十九里平野北部の市。農村市場として発達。平成17年(2005)7月、干潟町海上町飯岡町と合併。人口6.9万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「旭」の意味・わかりやすい解説

旭[市] (あさひ)

千葉県北東部,太平洋に面する市。2005年7月旧旭市と飯岡(いいおか),海上(うなかみ),干潟(ひかた)の3町が合体して成立した。人口6万9058(2010)。

旭市南西部の旧市。九十九里浜平野北部の農業地帯の中心都市。1954年旭町ほか3村が合体,市制。人口4万0963(2000)。1670年(寛文10)に干拓された干潟八万石の米と九十九里浜の海産物の集散地で,近世から十日市場が栄えて旭町の中心街となった。明治から郡政の中心として地方政治機関が多くなり,第2次世界大戦中に海軍航空基地となった。農村部はサツマイモの大産地でデンプン工場が多く,これを基礎に大規模な養豚業が立地した。また農家の兼業としては庭園用の槙づくりがさかんである。1955年以降工業団地を造成し,機械工業が進出した。九十九里浜平野の他の都市は銚子街道に沿って街村形態をなすが,旭市街は総武鉄道開通(1897)後,計画的に地割りされたため,碁盤目状に市街地を拡大している。旭駅近くの東漸寺に木曾義仲の直系14代目の義昌の墓があり,干潟八万石にある伊勢大神宮の神楽は県の無形文化財に指定されている。
執筆者:

旭市南東端の旧町。旧海上(かいじょう)郡所属。人口1万0916(2000)。九十九里浜平野北端の海岸にあり,銚子市につながる東・北部は台地となる。中心集落の飯岡は近世にはイワシ漁が行われ,《天保水滸伝》で知られる飯岡助五郎も網元であった。第2次世界大戦後の一時期,付近でとれるサツマイモを原料にした水あめ製造が盛んで町の経済を支えた。1953年一種漁港に指定されて以来漁港の整備が進み,水産加工も行われる。農業はキャベツ,スイカなどの野菜の生産が主である。海岸は遠浅で海水浴場となり,刑部岬など海岸の景勝地もある。70年代までは海岸部で砂鉄の生産が行われていた。

旭市北東部の旧町。旧海上郡所属。人口1万1062(2000)。九十九里浜平野の北部にあり,町域の東部が台地,西部が〈干潟八万石〉で知られる旧椿海干拓地である。純農村地域で,1950年に大利根用水が完成,その後東総用水の一部が開通して野菜の生産や養豚・養鶏など畜産が盛んになった。総武本線が通じる。

旭市北西部の旧町。旧香取郡所属。人口8235(2000)。九十九里平野の北端にあり,町域はかつて椿海と呼ばれた潟湖の干拓地から下総台地にまたがる。縄文~古墳時代の遺跡が数多く残されている。江戸時代初期に行われた椿海干拓によって〈干潟八万石〉と称される早場米産地となった。下総台地と干拓地の境に新田集落が列状に並び,親村は台地上に塊状の集村をなす。用水不足と排水不良のため,たびたび干害,水害をこうむったが,1951年の大利根用水の完成と耕地整理によって,土地生産性が大幅に増加した。農業が主たる産業で,米作と並んで野菜生産が盛ん。畜産の占める割合も高く,なかでも豚は関東でも有数の産地である。江戸時代後期の農政家大原幽学が農業振興に努めたところとしても知られ,住居跡が国の史跡として残る。総武本線干潟駅は当町域になく,旧旭市に所在する。
執筆者:


旭(愛知) (あさひ)


旭(岡山) (あさひ)


旭(島根) (あさひ)


旭(茨城) (あさひ)


旭(山口) (あさひ)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「旭」の意味・わかりやすい解説

旭(市)
あさひ

千葉県北東部、九十九里浜北端に位置する市。1954年(昭和29)、旭町と富浦(とみうら)村、矢指(やざし)村が合併し(旭町)、同年共和村、豊畑(とよはた)村を編入の後、海上(うなかみ)町の一部を編入し市制施行。2005年(平成17)、香取(かとり)郡干潟町(ひかたまち)、海上(かいじょう)郡海上町(うなかみまち)、飯岡町(いいおかまち)を合併。旭将軍木曽義仲(きそよしなか)の子孫で安土桃山時代にこの地を領有した木曽氏にちなんで地名がつけられた。JR総武本線が通じ、国道126号が走る。この地域は古くは椿海(つばきのうみ)とよばれる湾入であったが、1670年(寛文10)幕府の援助で干拓が進められ、干潟八万石(ひがたはちまんごく)の水田地帯が形成された。中心地の十日市場は市場集落として発達し、今日でも農村地域を背景に商業機能が強い。農業が盛んで、かつての米とイモ、麦の生産から、米とキュウリ、トマトなどの野菜栽培や養豚へと比重も変化し、とくに共和地区では施設園芸の大規模なハウスが立ち並ぶ。また内陸工業団地もある。椿海干拓を祈願して建立された鎌数伊勢(かまかずいせ)大神宮の神楽(かぐら)は県指定無形民俗文化財であり、境内に明治初期の千葉県ラッカセイ栽培の功労者、金谷総蔵(かなやそうぞう)(1848―1892)をたたえて建てられた「落花生の碑」がある。そのほか、矢指ヶ浦は海水浴場や好釣り場で、地名は、源頼朝(よりとも)が矢を海岸に立て6丁を1里として測り、九十九里浜と名づけた伝説にちなむ。2011年の東日本大震災では震度5を観測し、津波・液状化による被害が続発、死者14人・行方不明2人、住家全壊318棟・半壊847棟の被害を受けた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。面積130.45平方キロメートル、人口6万3745(2020)。

[山村順次]

『『旭市史』全3巻(1973~1980・旭市)』



旭(愛知県)
あさひ

愛知県中北部、東加茂郡(ひがしかもぐん)にあった旧町名(旭町(ちょう))。現在は豊田市(とよたし)の北部を占める一地区。1906年(明治39)成立の旭村が1955年(昭和30)岐阜県恵那(えな)郡三濃(みの)村の一部を編入、1967年町制施行。2005年(平成17)豊田市に編入。矢作川(やはぎがわ)上流に位置し、中心は小渡(おど)。愛知高原国定公園の一部で、小渡、笹戸(ささど)、榊野(さかきの)温泉もあり、愛知県旭高原少年自然の家、ゴルフ場などもある。米作のほか、特産にジネンジョ(自然薯)がある。杉本の貞観(じょうがん)スギは国の天然記念物。1970~1971年には矢作ダムや発電所、1981年には奥矢作揚水発電所もできた。豊田市街方面への通勤者が多い。

[伊藤郷平]

『『旭町誌』全3巻(1980~1982・旭町)』


旭(岡山県)
あさひ

岡山県中央部、久米郡(くめぐん)にあった旧町名(旭町(ちょう))。現在は久米郡美咲町(みさきちょう)の西部を占める地域。旧旭町は、1953年(昭和28)西川、垪和(はが)、倭文(しとり)西の3村が合併して町制施行。2005年(平成17)中央、柵原(やなはら)2町と合併して美咲町となった。旭川の中流にあり、旧町名はこれをとった。谷底の集落のほか吉備(きび)高原上に集落、耕地が多くみられる。県営旭川ダムが1954年に完成し、中心部の耕地、集落が水没。行政機関のある西川も、水没で移転した集落である。湖岸に沿う県道と東西に走る国道429号が主要道路。主産業は農業で、稲作のほかに、野菜や工芸作物の栽培も行われている。北部に農林水産総合センター畜産研究所がある。

[由比浜省吾]

『『旭町誌』全2巻(1996、1997・旭町)』


旭(茨城県)
あさひ

茨城県東南部、鹿島郡(かしまぐん)にあった旧村名(旭村(むら))。現在は鉾田市(ほこたし)の北部を占める地域。旧旭村は、1955年(昭和30)夏海(なつみ)、大谷(おおや)、諏訪(すわ)の3村が合併して改称。旭日(きょくじつ)昇天の勢いを願って村名を旭とした。2005年(平成17)、鉾田町、大洋村と合併して市制施行、鉾田市となる。旧町域は鹿島灘(なだ)に臨み、鹿島台地北部の標高45メートル内外の台地が広く続く。北は涸沼(ひぬま)、東は鹿島灘のため冬も温暖である。鹿島臨海鉄道、国道51号が走る。もとは麦とサツマイモ、現在はラッカセイ、ゴボウ、ダイコン、スイカの栽培が多く、メロンは全国的に有名。養豚も盛ん。子生(こなじ)の厳島(いつくしま)神社本殿は県指定文化財。

[櫻井明俊]


旭(島根県)
あさひ

島根県西部、那賀郡(なかぐん)にあった旧町名(旭町(ちょう))。現在は浜田市の南東部を占める地域。中国山地の石見(いわみ)高原に位置し、広島県に接する。旧旭町は、1958年(昭和33)町制施行。2005年(平成17)浜田市に合併。近世には津和野藩領であった。地域の大部分は山地で、ナシ、クリ、シイタケ、ワサビを特産する。造林やウシの放牧も盛ん。浜田市街地からJRバスが通じ、広島県とも連絡する。中国横断自動車道広島浜田線(浜田自動車道)の旭インターチェンジがあり、その近くに旭拠点工業団地がつくられている。県境の雲月山(うんげつざん)はキャンプ、スキーに利用され、西中国山地国定公園の一部。

[野本晃史]


旭(山口県)
あさひ

山口県中央部、阿武郡(あぶぐん)にあった旧村名(旭村(そん))。現在は萩市(はぎし)の南部を占める地域。1955年(昭和30)明木(あきらぎ)村と佐々並(ささなみ)村が合併して旭村となり、2005年(平成17)旭村は萩市と合併した。阿武川の支流の明木川、佐々並川流域に農山村が散在する。南は山口市に接し、国道262号が走り、JRバス路線が通じる。近世の萩―三田尻往還(はぎみたじりおうかん)は長州藩主毛利(もうり)氏の御成道(おなりみち)として整備されたもので、明木と佐々並の宿場町があった。石畳が残る往還は国指定史跡。佐々並の上長瀬一里塚は県指定史跡。

[三浦 肇]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「旭」の意味・わかりやすい解説


あさひ

岡山県中部,美咲町西部の旧町域。吉備高原にある。 1953年垪和 (はが) 村,倭文西 (しとりにし) 村,西川村の3村が合体して町制。同年江与味 (えよみ) 村の一部を編入。 2005年中央町,柵原町と合体して美咲町となった。地名は旭川に臨むことに由来。中心集落の西川は江戸時代は旭川の河港であった。山林が大部分を占め,高原ではタバコ,シイタケを生産。和牛や乳牛の飼育も行なわれる。旭川は鋭いV字谷をなし,かつては谷底に狭い氾濫原があったが,1954年旭川ダムの建設により主要な農耕地はすべて水没した。南部は吉備清流県立自然公園に属する。


あさひ

愛知県北部,豊田市北部の旧町域。矢作川上流左岸にある。 1967年町制。 2005年豊田市に編入。農山村で人口減少が著しく,過疎対策指定地域。近年は近隣の都市部への通勤者が増え,兼業農家が多い。中心集落の小渡 (おど) ,笹戸,榊野に鉱泉があり,渓谷の自然とともに 1970年愛知高原国定公園に指定。閑羅瀬 (しずらせ) の矢作第1ダムは,高さ 100m,長さ 323.1mのアーチ式で,洪水を調節するとともに,西三河地方,衣浦臨海工業地域へ農・工業用水,水道水,電力を供給する。南部にある杉本の貞観スギは国の天然記念物に指定されている。


あさひ

島根県西部,浜田市東部の旧町域。中国山地石見高原に位置する。 1958年町制。 2005年浜田市,金城町,弥栄村,三隅町の4市町村と合体して浜田市となる。米作のほか,和牛飼育,シイタケ栽培が行なわれる。南部は冠山山地の一部で西中国山地国定公園に属する。


あさひ

山口県北部,萩市南部の旧村域。 1955年佐々並村と明木村が合体して旭村が発足。 2005年萩市,川上村,田万川町,むつみ村,須佐町,福栄村の6市町村と合体して萩市となった。山間地で,農林業を主とする。2年ごとに南部の佐々並,北部の明木に交互に役場を置いたが,1993年明木に固定された。佐々並は山口の,明木は萩の商圏に属する。


あさひ

茨城県南東部,鉾田市北部の旧村域。鹿島灘に臨む台地上にあり,北端は涸沼に面する。 1955年夏海村,大谷村,諏訪村の3村が合体して旭村が発足。 2005年鉾田町,大洋村と合体して鉾田市となった。水戸市の商業圏に属する。メロンやトマトの施設栽培,養豚が行なわれる。

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