日本大百科全書(ニッポニカ) 「明治製菓」の意味・わかりやすい解説
明治製菓
めいじせいか
菓子、牛乳・乳製品、食品、一般用医薬品の製造企業である明治と医療用医薬品、農薬、動物薬の製造企業であるMeiji Seika ファルマの前身。
明治製菓は最大手の菓子製造企業で抗生物質を中心とする薬品製造でもトップクラスであった。1916年(大正5)相前後して設立された東京菓子と明治製糖(大日本明治製糖の前身)によって設立された大正製菓とが翌1917年合併(資本金250万円)し、1924年明治製菓と改称。当初から洋菓子の国産化と輸出とを目ざす。1925年には川崎に近代的製菓工場を新設して、キャラメル、キャンデー、ビスケットなどの量産を開始、1932年(昭和7)にはチョコレート、1936年には果実の缶詰にも進出した。一方、これより先1920年には製乳事業の兼営を開始し、各地に事業所を新設あるいは企業合併を行って事業を拡張、1940年にこの部門を明治乳業として分離独立させた。太平洋戦争末期には空爆により主力工場全焼。戦後は、1955年(昭和30)大阪工場を新設して菓子の量産体制を整え、1968年スナック菓子、1970年代に入ると食品にも進出、さらにヨーロッパの菓子製造会社との提携を行うとともに輸出にも力を注いだ。ペニシリンの製造は1946年から開始、1950年ストレプトマイシン、1958年カナマイシンなどを発売し抗生物質の製造も拡大した。
2009年(平成21)4月、明治乳業と経営統合、共同持株会社の明治ホールディングスを設立、明治製菓は明治乳業とともにその子会社となった。2011年4月に明治ホールディングスは傘下事業会社の再編を行い、明治製菓の食品・一般医薬品事業を分割して明治乳業に承継させ、食品事業会社の明治が発足、明治製菓の医療用医薬品、農薬、動物薬事業は、Meiji Seika ファルマとなった。
[森 真澄]
『明治製菓株式会社編・刊『明治製菓四〇年小史』(1958)』▽『明治製菓社史編集委員会編『明治製菓の歩み――創業から80年 1916―1996』(1997・明治製菓)』