星野天知(読み)ホシノ テンチ

20世紀日本人名事典 「星野天知」の解説

星野 天知
ホシノ テンチ

明治〜昭和期の小説家,評論家



生年
文久2年1月15日(1862年)

没年
昭和25(1950)年9月17日

出生地
江戸日本橋

別名
別号=天地坊,天為居士,破蓮

学歴〔年〕
農科大学〔明治22年〕卒

経歴
在学中カトリック洗礼を受け、卒業後は明治女学校に勤務し、明治23年女学雑誌社から「女学生」を創刊。26年には「文学界」を創刊し小説、評論を発表。29年「うらわか草」を編集。33年「文学雑著 破蓮集」を、35年作品集「山菅」を刊行。37年鎌倉女学校の創立に際し副校長となったが翌年退職。晩年の昭和13年「黙歩七十年」を刊行した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「星野天知」の意味・わかりやすい解説

星野天知
ほしのてんち
(1862―1950)

評論家、小説家。江戸・日本橋生まれ。本名慎之輔(しんのすけ)。1887年(明治20)受洗。89年帝国大学農科大学卒業。明治女学校教員となり、90年『女学生』を主筆創刊。93年『文学界』を創刊、編集人として経営にも参与しながら中心的に発行を推進した。95年教え子松井万(まん)と結婚。『うらわか草』(1896)創刊。『文学界』廃刊後は文学から遠ざかり書道研究に力を入れた。1948年(昭和23)カトリックの洗礼を受けた。著書に『文学雑著破蓮(はれん)集』(1900)、『山菅(やますげ)』(1902)、『草書研究法』(1909)、回想集『黙歩七十年』(1938)などがある。

[橋詰静子]

『笹淵友一著『「文学界」とその時代 上』(1959・明治書院)』『富田倭子「星野天知評伝」(『学苑』1963.12・昭和女子大学近代文化研究所)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「星野天知」の意味・わかりやすい解説

星野天知【ほしのてんち】

評論家,小説家。本名慎之輔。別号,天為居士(てんいこじ),破蓮坊(はれんぼう)など。江戸生れ。農科大学林学科卒。1887年平田禿木らと日本橋教会で受洗。明治女学校で教鞭を取り,1890年《女学生》を創刊,主筆となる。1893年,禿木や北村透谷島崎藤村らと《文学界》を創刊,編集・経営に携わる。他に《うらわか草》を編集発行。作品集に《文学雑著 破蓮(やれはす)集》《山菅(やますげ)》,回想に《黙歩七十年》(1938年)などがある。のち書道研究に精力を傾けた。
→関連項目文学界

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「星野天知」の解説

星野天知 ほしの-てんち

1862-1950 明治-昭和時代の評論家,小説家。
文久2年1月10日生まれ。明治20年受洗。明治女学校教師をつとめるかたわら23年女学雑誌社から「女学生」を創刊,主筆。26年には北村透谷らと「文学界」を創刊した。のち書道研究に没頭。作品集に「山菅(やますげ)」,著作に「草書研究法」。昭和25年9月17日死去。88歳。江戸出身。帝国大学卒。本名は慎之輔。
格言など】悲みは人の真心を突くの鋭鋒(えいほう)なり(「人世の別離」)

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367日誕生日大事典 「星野天知」の解説

星野 天知 (ほしの てんち)

生年月日:1862年1月10日
明治時代-昭和時代の評論家;小説家
1950年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の星野天知の言及

【文学界】より

…他に《うらわか草》1巻を臨時に発行した(1896年5月)。主宰者は星野天知。4号まで発行所を女学雑誌社としたのは,《赤表 女学雑誌》と交互に刊行された《白表 女学雑誌》(《女学雑誌》の文学芸術部門)から,この雑誌が独立したことによる。…

※「星野天知」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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