(三田純市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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…旗揚げは1948年12月,大阪の中座で,以後もそこを本拠として活動し現在に至っている。旗揚げのプログラムは茂林寺文福(もりんじぶんぷく)こと曾我廼家十吾(そがのやとおご)(1892‐1974)と館直志(たてなおし)こと渋谷天外合作《丘の一本杉》,和老亭当郎(わろうていとうろう)こと曾我廼家十郎作《手》,一堺漁人(いつかいぎよじん)こと曾我廼家五郎作《嵯峨野の雪》ほかであった。参加メンバーには渋谷天外,曾我廼家十吾,浪花(なにわ)千栄子(1907‐73),藤山寛美(かんび)(1929‐90),曾我廼家大磯,曾我廼家明蝶(めいちよう),曾我廼家五郎八,曾我廼家鶴蝶(つるちよう)らがいる。…
…曾我廼家五郎(1877‐1948)と曾我廼家十郎(1869‐1925)によって始められた喜劇の名称。もと2人は歌舞伎の下級俳優だったが,歌舞伎に見切りをつけた五郎が大阪千日前の改良座で見た鶴屋団十郎の〈改良俄(にわか)〉(にわか)に触発され,廃業していた十郎を誘って笑わせる芝居を目ざして1903年に〈新喜劇〉の一座を結成した。…
…仁和歌,仁輪加,二輪嘉,二○加,加などとも書く。和,輪の心意を表すという。滑稽(こつけい),風刺,洒落,頓智(とんち)などをねらって即興頓作する即興狂言で,江戸時代から明治時代にかけて,江戸の吉原や大坂,京都,博多を中心に流行した。日本の滑稽風刺芸はたとえば古くは平安時代の《新猿楽記》に出てくる数々の猿楽芸(猿楽)に見られるが,俄はそうした古い芸能伝承の路線上に成立したものと考えられている。江戸時代の天和(1681‐84)のころ,京都島原遊廓の楼客の間で頓智を競う遊びが起こり(《好色一代男》),同じ島原の住吉祭には風流(ふりゆう)から発した即興の仮装が出て,町人たちが盛んに即興狂言を演じた。…
※「曾我廼家十郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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