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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…旗揚げは1948年12月,大阪の中座で,以後もそこを本拠として活動し現在に至っている。旗揚げのプログラムは茂林寺文福(もりんじぶんぷく)こと曾我廼家十吾(そがのやとおご)(1892‐1974)と館直志(たてなおし)こと渋谷天外合作《丘の一本杉》,和老亭当郎(わろうていとうろう)こと曾我廼家十郎作《手》,一堺漁人(いつかいぎよじん)こと曾我廼家五郎作《嵯峨野の雪》ほかであった。参加メンバーには渋谷天外,曾我廼家十吾,浪花(なにわ)千栄子(1907‐73),藤山寛美(かんび)(1929‐90),曾我廼家大磯,曾我廼家明蝶(めいちよう),曾我廼家五郎八,曾我廼家鶴蝶(つるちよう)らがいる。…
…曾我廼家五郎(1877‐1948)と曾我廼家十郎(1869‐1925)によって始められた喜劇の名称。もと2人は歌舞伎の下級俳優だったが,歌舞伎に見切りをつけた五郎が大阪千日前の改良座で見た鶴屋団十郎の〈改良俄(にわか)〉(にわか)に触発され,廃業していた十郎を誘って笑わせる芝居を目ざして1903年に〈新喜劇〉の一座を結成した。…
…しかし宝楽が没し,団十郎も旅興行に出て帰阪しないまま1904年以降大阪俄は衰退する。これに代わって曾我廼家(そがのや)五郎・十郎の改良二○加が生まれ,やがて大阪の新喜劇へと展開し,近代日本の喜劇の幕明けとなるのである。現在大阪俄は1981年に最後の俄師ともいわれた2代目一輪亭花咲が没したあと,落語家の露乃五郎が3代目を継いで保存に努めている。…
※「曾我廼家五郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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