20世紀日本人名事典 「有沢一郎」の解説
有沢 一郎
アリサワ イチロウ
大正・昭和期の作曲家
- 生年
- 明治35(1902)年5月12日
- 没年
- 昭和23(1948)年7月23日
- 出生地
- 高知県香美郡山田町(現・土佐山田町)
- 別名
- 筆名=南童 文夫
- 学歴〔年〕
- 高知商〔大正11年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 音楽功労賞〔大正6年〕
- 経歴
- 農機具製造販売を家業の有沢繁次・政の三男として生まれる。音楽の天分に恵まれ、高知商業在学中に、当時県下唯一の音楽隊を率いて指導、大正6年音楽功労賞を受賞。11年卒業後、東京の山野楽器店に就職。築地海軍軍楽隊作曲家・宮原禎次について作曲・演奏を研究する。兵役を経て高知に帰郷、片地・楠目・下知・朝倉などの小学校教員を務める。昭和3・4年頃から眼疾・トムソン氏病という奇病にかかる。10年門田房子と結婚。退職して楽器店メロスを開店し、衰える視力と闘いながら作曲・音楽指導に当たった。民謡、歌曲など約40曲を作曲。コルネット、クラリネットの名手としても知られた。作品に「うすぶとん」「庚申堂の秋」「ペチカをめぐりて」「鈴虫」「平和の歌」「越後獅子」など、著書に「有沢一郎吹奏曲集」がある。23年7月病が重くなったのを苦に入水自殺。25年土佐山田小・中学校で追悼音楽会が開催された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報