改訂新版 世界大百科事典 「有賀喜左衛門」の意味・わかりやすい解説
有賀喜左衛門 (あるがきざえもん)
生没年:1897-1979(明治30-昭和54)
農村社会学者。長野県上伊那郡朝日村平出の旧家に生まれ,幼名道夫より喜左衛門を襲名。1922年東大美学美術史学科卒業。卒業前柳宗悦の影響を受け,卒業後,柳田国男門下となる。25年,岡正雄とともに柳田の《民族》創刊に協力。46年東大講師,49年東京教育大学教授となる。有賀はマリノフスキーやラドクリフ・ブラウンの機能主義民族学と,デュルケームやモースの社会学の影響下に民族学ないし社会人類学を経て社会学に入った。日本の村落構造,ことに家と同族組織を村人の生活意識に即して把握する独自な方法論によって研究をすすめた(《日本家族制度と小作制度》1943,《南部二戸郡石神村における大家族制度と名子制度》1939,など)。村落にとどまらず,広く都市をも含む日本社会の構造を扱う先駆的諸研究を展開し,遺著《文明・文化・文学》(1980)における文化論にまで及んだ。著作集全11巻がある。
執筆者:中野 卓
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報