望月三英(読み)モチヅキサンエイ

精選版 日本国語大辞典 「望月三英」の意味・読み・例文・類語

もちづき‐さんえい【望月三英】

  1. 江戸中期の漢方医。丸亀藩医の子。本名は乗、字は君彦、号は鹿門。三英は通称。将軍徳川吉宗の奥医師となる。諸説騙取をいましめ、折衷説をとなえた。著書「医官玄稿」「明医小史」など。元祿一〇~明和六年(一六九七‐一七六九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「望月三英」の意味・わかりやすい解説

望月三英
もちづきさんえい
(1697―1769)

江戸中期の漢方医。讃岐(さぬき)国(香川県)丸亀(まるがめ)藩医雷山(1661―1742)の子。名は乗、字(あざな)は君彦、鹿門(ろくもん)と号した。三英は通称。幕府の医官を勤める元椿の死後その家を継ぎ、1726年(享保11)番医、1737年(元文2)侍医に任ぜられ、法眼に叙せられた。将軍徳川吉宗(よしむね)の知遇を得、広く諸医書を読んで諸説を取り混ぜ、折衷説を唱えるに至った。西の吉益東洞(よしますとうどう)と並び称されたが、彼は東洞の「万病一毒説」を排斥した。1753年(宝暦3)『医官玄稿』を著し、古今諸家の言説を騙取(へんしゅ)してはならないゆえんを痛論した。他の著作に『明医(みんい)小史』『又玄余草(ゆうげんよそう)』など。

[大鳥蘭三郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「望月三英」の解説

望月三英 もちづき-さんえい

1697-1769 江戸時代中期の医師。
元禄(げんろく)10年生まれ。望月雷山の子。幕府医官となり,奥医師,法眼にすすむ。多数の医書を読破して考証につとめ,折衷説をとなえた。服部南郭(なんかく)の門人として文名もたかかった。明和6年11月4日死去。73歳。江戸出身。名は乗。字(あざな)は君彦。号は鹿門(ろくもん)。著作に「医官玄稿」など。

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