望月圭介(読み)モチズキ ケイスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「望月圭介」の解説

望月 圭介
モチズキ ケイスケ


肩書
逓信相,内相,衆院議員

生年月日
慶応3年2月27日(1867年)

出身地
広島県

学歴
攻玉社中退 明治英学校中退

経歴
広島県の裕福な回船問屋の家に生まれ、14歳で勉学のため上京後、自由党に近づき、明治31年、30歳の若さで衆院議員に初当選し、以後当選13回。この間、政友会の原敬総裁に引き立てられて昭和2年、原内閣時代の政友会幹事長に就任する。その後、田中義一内閣逓相、内相などを歴任したが、政友会にあっては鈴木総裁を中心とする主流派への反感を強めてやがて除名され、他の政友会脱退者らと昭和会を結成した。14年の政友会分裂後は中島知久平派に属し、後に米内内閣参議などをつとめている。

没年月日
昭和16年1月1日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「望月圭介」の解説

望月 圭介
モチヅキ ケイスケ

明治〜昭和期の政治家 逓信相;内相;衆院議員。



生年
慶応3年2月27日(1867年)

没年
昭和16(1941)年1月1日

出身地
広島県

学歴〔年〕
攻玉社中退,明治英学校中退

経歴
広島県の裕福な回船問屋の家に生まれ、14歳で勉学のため上京後、自由党に近づき、明治31年、30歳の若さで衆院議員に初当選し、以後当選13回。この間、政友会の原敬総裁に引き立てられて昭和2年、原内閣時代の政友会幹事長に就任する。その後、田中義一内閣の逓相、内相などを歴任したが、政友会にあっては鈴木総裁を中心とする主流派への反感を強めてやがて除名され、他の政友会脱退者らと昭和会を結成した。14年の政友会分裂後は中島知久平派に属し、後に米内内閣の参議などをつとめている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「望月圭介」の意味・わかりやすい解説

望月圭介
もちづきけいすけ
(1867―1941)

明治・大正・昭和期の政党政治家。慶応(けいおう)3年2月27日広島県に生まれる。家業海運業。攻玉社(こうぎょくしゃ)、共立学校、明治英学校に学ぶ。1898年(明治31)8月の第6回総選挙以来、衆議院議員に13回当選。原敬(たかし)内閣期の政友会幹事長。田中義一(ぎいち)内閣の逓相(ていしょう)・内相。田中の死後岡崎邦輔(くにすけ)とともに政友会の長老的存在であったが、鈴木喜三郎(きさぶろう)総裁ら主流派への反発を強め、1935年(昭和10)5月党議に反し岡田啓介(けいすけ)内閣の内閣審議会委員になり除名。同年9月逓相として入閣し、12月内田信也(のぶや)、山崎達之輔(たつのすけ)らと昭和会を組織。1939年政友会分裂後、政友会に復帰、中島派に属し、翌1940年米内光政(よないみつまさ)内閣の参議となった。翌昭和16年1月1日死去。

[榎本勝巳]

『伝記編纂委員会編・刊『望月圭介伝』(1945)』


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「望月圭介」の解説

望月圭介 もちづき-けいすけ

1867-1941 明治-昭和時代前期の政治家。
慶応3年2月27日生まれ。生家安芸(あき)(広島県)の廻船問屋。東京の攻玉社などでまなぶ。明治31年衆議院議員(当選13回)。原内閣時代などに政友会幹事長をつとめ,田中義一内閣の逓信相・内相,岡田内閣の逓信相を歴任した。昭和16年1月1日死去。75歳。

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367日誕生日大事典 「望月圭介」の解説

望月 圭介 (もちづき けいすけ)

生年月日:1867年2月27日
明治時代-昭和時代の政治家。衆議院議員
1941年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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