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岡崎邦輔 おかざき くにすけ

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美術人名辞典の解説

岡崎邦輔

政治家。紀伊和歌山生。長坂学弥の二男。晩香と号する。犬養毅らと憲政擁護運動を興した。昭和11年(1936)歿、83才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡崎邦輔 おかざき-くにすけ

1853-1936 明治-昭和時代前期の政治家。
嘉永(かえい)6年3月15日生まれ。明治21年駐米公使陸奥宗光(むつ-むねみつ)にしたがって渡米し,ミシガン大に留学。24年衆議院議員となり,自由党,憲政党,政友会に属した(当選10回)。大正元年犬養毅,尾崎行雄らと第1次護憲運動をおこす。のち加藤高明内閣の農相。貴族院議員。昭和11年7月22日死去。84歳。紀伊(きい)和歌山出身。旧姓は長坂。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

おかざきくにすけ【岡崎邦輔】

1854‐1936(安政1‐昭和11)
政治家。和歌山県出身。本姓長坂。岡崎家の養子。鳥羽・伏見の戦に参加。1888年従兄陸奥宗光特命全権公使に従い渡米しミシガン大学に学ぶ。91年代議士となり,以後当選10回。陸奥の死後,星亨と結び,第4次伊藤博文内閣で星逓相の官房長をつとめた。また,憲政党,立憲政友会の政務に関与し策士として有名。1912年犬養毅,尾崎行雄らと護憲運動を起こし,25年第1次加藤高明内閣の農相となる。28年政界を引退。【金原 左門】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岡崎邦輔
おかざきくにすけ

[生]安政1(1854).3.15. 和歌山
[没]1936.7.22. 東京
政治家。陸奥宗光の従弟。熊本県警部を振出しに和歌山県新宮の警察署長などをつとめたが,1888年陸奥特命全権公使に従って渡米。ミシガン大学に学ぶ。星亨の参謀として働き,91年総選挙に立候補して当選,政界に入った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岡崎邦輔
おかざきくにすけ
(1854―1936)

明治~大正時代の政党政治家。和歌山藩出身。従兄(いとこ)の陸奥宗光(むつむねみつ)を頼って大蔵省に出仕、内務、司法省に転じ、1878年(明治11)新宮(しんぐう)警察署長、さらに和歌山署長を経て、1888年陸奥の駐米公使赴任に従って渡米、ミシガン大学に学んだ。陸奥の政治活動を支援するため1891年和歌山から代議士に出馬、紀州組をつくった。1897年自由党に入党、ついで憲政党結成に参加したが、星亨(ほしとおる)とともに隈板(わいはん)内閣の分裂を策し、分裂後の憲政党を第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣と提携させるため尽力。1900年(明治33)立憲政友会の創立に参加、第四次伊藤博文(ひろぶみ)内閣では星逓信(ていしん)大臣の下で官房長を務めた。1901年の星死後は古河合名会社の理事に専念、足尾鉱山の鉱毒問題処理などにあたった。1908年ふたたび代議士となり、第一次護憲運動では政友会を代表して活躍、一時尾崎行雄らと政友倶楽部(くらぶ)をつくったが、やがて政友会に復帰、大正時代を通じてその幹部として総裁原敬(はらたかし)、高橋是清(これきよ)を助け、党内の取りまとめ役を務めた。1924年(大正13)護憲三派結成に尽力、翌年の普通選挙法成立にも寄与した。同年加藤高明内閣の農林大臣に就任したが、三派内閣の瓦解(がかい)でまもなく辞任。1928年(昭和3)普選法実施を機に政界引退を宣言、同年貴族院議員に勅選された。政界の裏面での活躍に才能を発揮したため策士と目された。[宇野俊一]
『平野嶺夫著『岡崎邦輔伝』(1938・晩香会)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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