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岡田啓介 おかだ けいすけ

デジタル大辞泉の解説

おかだ‐けいすけ〔をかだ‐〕【岡田啓介】

[1868~1952]軍人・政治家。海軍大将。福井の生まれ。田中斎藤両内閣の海相。のち、首相。二・二六事件首相官邸を襲撃されたが、あやうく難を逃れた。事件後に内閣は総辞職した。

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百科事典マイペディアの解説

岡田啓介【おかだけいすけ】

海軍大将。福井藩士の子。第1次大戦中より海軍中枢部の要職を歴任,田中義一斎藤実内閣の海相。1934年組閣したが,軍部の進出をおさえられず,二・二六事件で襲撃され危うく助かる。
→関連項目重臣

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡田啓介 おかだ-けいすけ

1868-1952 明治-昭和時代前期の軍人,政治家。
慶応4年1月21日生まれ。海軍大将。海軍次官,連合艦隊司令長官などをへて,昭和2年田中義一内閣,7年斎藤実内閣の海相をつとめる。9年首相。二・二六事件で襲撃され助かるが,内閣は総辞職。日米開戦回避に努力し,開戦後は東条内閣打倒工作の中心となった。昭和27年10月17日死去。84歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。海軍大学校卒。著作に「岡田啓介回顧録」。

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世界大百科事典 第2版の解説

おかだけいすけ【岡田啓介】

1868‐1952(明治1‐昭和27)
満州事変前夜から敗戦まで海軍長老,首相,重臣として海軍を背景に調停的役割を果たした軍人政治家。福井藩士の出身。海軍兵学校(15期),海軍大学校を卒業し日清戦争に参加。第1次世界大戦中より海軍中央部の要職を歴任し1923年次官,24年大将となる。田中義一内閣の海相となったのちロンドン軍縮会議では浜口雄幸内閣と海軍との間を斡旋して条約成立にこぎつけ,元老西園寺公望の信任を得た。次いで斎藤実内閣の海相となったが,33年退任,後備役。

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大辞林 第三版の解説

おかだけいすけ【岡田啓介】

1868~1952) 軍人・政治家。福井県生まれ。海軍大将。連合艦隊司令長官。田中・斎藤内閣の海相。1934年(昭和9)首相。二・二六事件で首相官邸を襲撃され、あやうく難をのがれたが、総辞職。のち、東条内閣退陣工作の中心となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岡田啓介
おかだけいすけ

[生]明治1(1868).1.20. 若狭
[没]1952.10.17. 東京
海軍軍人,政治家。父は福井藩士。二・二六事件時の首相。 1889年海軍兵学校,93年海軍大学校卒業。 1924年大将となり,海軍軍事参議官,第1艦隊司令長官兼連合艦隊司令長官を経て,27年田中義一内閣および 32年斎藤内閣の海軍大臣となった。 34年元老西園寺公望の奏推により総理大臣。この間,30年ロンドン海軍軍備制限条約廃棄,35年の天皇機関説事件,そして 36年のロンドン条約脱退に際会し,岡田は西園寺を頂点とする重臣と軍部の間の意思疎通の役割を果した。また天皇機関説事件では消極的立場をとったが,これが二・二六事件に際し岡田襲撃の一因となった。同事件では反乱将校が義弟を本人と誤認して射殺,官邸の一隅に隠れ難を逃れた。この事件後総辞職。以後前首相として重臣の列に加えられ,東条内閣打倒に始る終戦工作には和平派についた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岡田啓介
おかだけいすけ
(1868―1952)

大正・昭和時代の海軍軍人、政治家。慶応(けいおう)4年1月20日若狭国(わかさのくに)(福井県)に生まれる。1889年(明治22)海軍兵学校卒業。海軍大学校を経て日清(にっしん)、日露の両戦争、第一次世界大戦に従軍。1924年(大正13)海軍大将となり、同年より1926年まで連合艦隊司令長官。1927年(昭和2)には田中義一(たなかぎいち)内閣の、ついで1932年には斎藤実(さいとうまこと)内閣の海軍大臣として入閣。1934年に内閣総理大臣に任命された。1936年の二・二六事件で襲撃され、同郷人で義弟の松尾伝蔵大佐の身代りによりからくも難を逃れたが、内閣は総辞職した。その後謹慎していたが、1937年4月前官礼遇となり重臣の列に加わった。日米開戦には消極的姿勢を示し、開戦後は東条英機(とうじょうひでき)内閣打倒運動の中心となった。鈴木貫太郎内閣の書記官長迫水久常(さこみずひさつね)は女婿である。昭和27年10月17日死去。[横関 至]
『馬場恒吾著『政界人物評論』(1935・中央公論社) ▽岡田啓介述『岡田啓介回顧録』(1950・毎日新聞社) ▽岡田大将記録編纂会編・刊『岡田啓介』(1956・非売品) ▽仙石進著『巨木は揺れた――岡田啓介の生涯』(1994・近代文芸社) ▽上坂紀夫著『宰相岡田啓介の生涯――2・26事件から終戦工作』(2001・東京新聞出版局) ▽御厨貴監修『歴代総理大臣伝記叢書22 岡田啓介』(2006・ゆまに書房) ▽岡田啓介著、岡田貞寛編『岡田啓介回顧録』改版(中公文庫)』

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