デジタル大辞泉
「木内克」の意味・読み・例文・類語
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木内克 (きのうちよし)
生没年:1892-1977(明治25-昭和52)
彫刻家。水戸市に生まれる。1914年朝倉彫塑塾に入り,16年第10回文展に初入選して,官展に出品を続けた。21年フランスに渡り,15年間滞在してギリシアのアルカイク彫刻に傾倒し,サロン・ドートンヌなどに出品した。帰国後二科展に出品したが,48年以後新樹会に生命感あふれる作品を発表。代表作《見つけたポーズ》など。
執筆者:三木 多聞
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木内克
きのうちよし
[生]1892.6.27. 水戸
[没]1977.3.8. 東京
彫刻家。水戸中学校卒業後,1914年朝倉文夫の彫塑塾に入る。 16年第 10回文展初入選。 21年ロンドン,次いでパリに渡り É.ブールデルに師事,サロン・ドートンヌほか諸展覧会に出品。またギリシアのアルカイック彫刻に傾倒し,テラコッタの技法に習熟する。 35年帰国し,長い海外生活での収穫をよく消化して,バロック風の動きに満ちた量感豊かな作品を制作。 36年より二科展に出品するが,41年文展に転ずる。 48年より新樹会会員。 74年大作『女神像』を完成。
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木内克
きのうちよし
(1892―1977)
彫刻家。水戸市に生まれる。1914年(大正3)朝倉文夫の彫塑塾に入り、16年第10回文展に『平吉』が初入選し、官展に出品を続けた。21年渡欧、パリで1年ほどブールデルにつき、以後15年間フランスに滞在、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・ザンデパンダンなどに出品、ギリシアのアルカイック彫刻に傾倒した。帰国後一時二科展に出品したが、48年(昭和23)から新樹会展に生命感あふれる作品を出品し、毎日美術賞、中原悌二郎(ていじろう)賞など受賞を重ねた。代表作に滞欧作のテラコッタ『女の顔』をはじめ『寝ている女』『見つけたポーズ』などがある。
[三木多聞]
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木内克 きのうち-よし
1892-1977 大正-昭和時代の彫刻家。
明治25年6月27日生まれ。朝倉文夫の彫塑塾にまなぶ。大正10年フランスにわたりブールデルに師事。アルカイック彫刻に傾倒し,テラコッタの技法を修得する。昭和26年毎日美術賞,45年中原悌二郎(ていじろう)賞。昭和52年3月8日死去。84歳。茨城県出身。作品に「女の顔」「エーゲ海に捧(ささ)ぐ」など。
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