大正・昭和期の彫刻家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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彫刻家。水戸市に生まれる。1914年(大正3)朝倉文夫の彫塑塾に入り、16年第10回文展に『平吉』が初入選し、官展に出品を続けた。21年渡欧、パリで1年ほどブールデルにつき、以後15年間フランスに滞在、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・ザンデパンダンなどに出品、ギリシアのアルカイック彫刻に傾倒した。帰国後一時二科展に出品したが、48年(昭和23)から新樹会展に生命感あふれる作品を出品し、毎日美術賞、中原悌二郎(ていじろう)賞など受賞を重ねた。代表作に滞欧作のテラコッタ『女の顔』をはじめ『寝ている女』『見つけたポーズ』などがある。
[三木多聞]
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