木村正辞(読み)キムラマサコト

デジタル大辞泉 「木村正辞」の意味・読み・例文・類語

きむら‐まさこと【木村正辞】

[1827~1913]幕末明治の国文学者。千葉の生まれ。号は欟斎つきのや。東大教授。著「万葉集文字弁証」など。

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精選版 日本国語大辞典 「木村正辞」の意味・読み・例文・類語

きむら‐まさこと【木村正辞】

  1. 幕末・明治の国学者。文博。本姓清宮。号は欟斎(つきのや)、集古葉堂。千葉県出身。岡本保孝に師事する。東京大学東京高等師範学校教授となる。万葉集を研究中心とし、「万葉集美夫君志(みぶくし)」「万葉集文字弁証」「万葉集訓義弁証」などの著作がある。文政一〇~大正二年(一八二七‐一九一三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木村正辞」の意味・わかりやすい解説

木村正辞
きむらまさこと
(1827―1913)

国学者、国語学者。字(あざな)は埴満(はにまろ)。号は欟斎(つきのや)、集古葉堂、三十二艸庵(そうあん)、円珠屋、爾谷(じこく)など。下総(しもうさ)国(千葉県)成田に生まれ、初め国学、詠歌、漢学を学び、のち岡本保孝(おかもとやすたか)(1797―1878)について和漢学、韻学を修めた。1863年(文久3)幕府和学新会頭助役、のち帝国大学文科大学(現、東京大学文学部)教授、高等師範学校(現、筑波(つくば)大学)教授などを歴任、1902年(明治35)文部省国語調査委員会委員となった。『万葉集』研究において厳密な本文批判、訓釈考究など優れた業績を残した。『万葉集美夫君志(みふぐし)』『万葉集書目』などがある。

[沖森卓也 2018年10月19日]


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改訂新版 世界大百科事典 「木村正辞」の意味・わかりやすい解説

木村正辞 (きむらまさこと)
生没年:1827-1913(文政10-大正2)

幕末・明治の国文学者。号は欟斎,集古葉堂。下総国成田の清宮家に生まれる。16歳で木村家を継ぐ。伊能頴則(ひでのり),岡本保孝に学び考証学に長ずる。1869年(明治2)大学助教授に任ぜられ,以後神祇官司法省太政官,文部省に出仕。学士院会員,文科大学教授兼高等師範学校教授を経て,93年官を辞し,その後はもっぱら《万葉集》の研究に没頭する。蔵書数万巻に及び明治天皇に珍本数種を献じたこともある。著書に《万葉集美夫君志》ほか多数。
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朝日日本歴史人物事典 「木村正辞」の解説

木村正辞

没年:大正2.4.14(1913)
生年:文政10.4.6(1827.5.1)
江戸時代から明治にかけての国学者,国文学者。本姓清宮,幼名荘之助,字埴満,号欟斎,集古葉堂,円珠経屋など。下総国埴生郡成田(千葉県成田市)に仁右衛門の子として生まれ,木村孝之助の養子となる。伊能穎則,寺門静軒,岡本保孝に学び,和漢の学を修める。特に音韻学に長じた。幕府や水戸藩に出仕,維新後は神祇官・太政官・文部省などに勤め,帝国大学文科大学教授に任ぜられて万葉集の実証的注釈に従事,『万葉集美夫君志』などの業績を残す。国学者から国文学者へと学問の近代化,精緻化に成功した碩学。東京学士院会員。

(久保田啓一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村正辞」の解説

木村正辞 きむら-まさこと

1827-1913 江戸後期-明治時代の国学者。
文政10年4月6日生まれ。木村孝之助の養子。伊能穎則(いのう-ひでのり)に国学を,岡本保孝(やすたか)に音韻学をまなび,和学講談所会頭助役となる。明治にはいって帝国大学教授。のち「万葉集」の考証に専念した。大正2年4月14日死去。87歳。下総(しもうさ)成田(千葉県)出身。本姓は清宮。号は欟斎(つきのや)。著作に「万葉集美夫君志(みふぐし)」「音韻雑攷」など。

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