中国に起こった言語音に関する学問。中国語の語は原則として単音節から成り,その音節は一般に頭子音+介母音+主要母音+末子音(+声調)の構造をなしている。中国人はこの音節構造を頭子音と介母音以下の二つの部分に分析し,前者を音と呼び,後者を総括して韻と呼んだ。そこでこの音構造を研究する学問を音韻学と称した。今日のいわゆる音韻論phonologyphonemicsとは別物である。
中国において自国語の音声の反省意識はかなり古い。詩の技巧として脚韻の利用はすでに《詩経》に十分に発展しているし,また文字の発展の途上において,ある語を文字化する場合に既存の同音または類似の音をもつ文字を借用するか(仮借),またはその文字に意義のカテゴリーを示す偏旁(へんぼう)を加えて新たに文字(諧声)を作った。しかし,ここにも音声の意識は認められる。そして音声が体系的に取り扱われるにいたるまでには長い時間を要した。後漢になって経典の研究が進むにつれ,語の解釈を音の同一ないし近似に求めるという試みが行われたが,それは音の分析についてはまだはなはだ不完全であった。やがて音節構造の分析が進んで,反切という表音技術が発明された。これはある語の音節構造を表すのに,その語の頭子音と同じ頭子音をもつ他の常用文字と,その語の韻と同じ韻をもつ他の常用文字の2文字の組合せでその語の音韻を表したものである。たとえば,東の音を示すに徳紅反(後には徳紅切)をもってしたが,これは徳t(ək)+紅(γ)ung1=tung1(1は声調を表す補助記号)の意である。六朝時代(3世紀初め~6世紀末)にはいるとこの反切の流行とともに,詩韻の研究が進んで,やがて四声の発見となって現れた。また韻の分類も盛んになり,韻の分類による字書が発生するようになった。これを韻書という。六朝の韻書は隋にはいって集大成され,陸法言の編である《切韻》(601)に結実した。ここにいたって韻の体系化はほぼ完成されたといってよい。《切韻》の体系は後世の韻書の典型となり,時代とともに音韻変化が起こってもながく規範として墨守された。宋の《広韻》《集韻》などはその系統の韻書である。切韻系韻書は科挙に課される詩韻の規準とされたので,宋代には《切韻》の簡略版の《韻略》が盛行し,《広韻》の206韻の体系が細かすぎるため元のころには106韻の体系に簡約化され,これが後世作詩の用に供せられた。これらの官韻は実際上の音韻体系といちじるしく異なっていたので,口頭音に依拠する戯曲の押韻には役だたず,そこで元の周徳清はこの曲韻のために伝統的な韻書の体系を破棄して,新たに北方音にもとづく《中原音韻》という画期的な韻書を作った。その後,明・清を通じてこの系統を引く韻書も作られたが,明初官韻系統にもこの影響を受けて,かなりの簡略化を図った《洪武正韻》という韻書が編纂されている。
韻の体系化にやや遅れて音の体系が整理されていった。この体系化の動機はインドの音韻学の導入である。サンスクリットの子音体系にならって中国でも唐代を通じて頭子音の整理が行われ,ついにいわゆる七音三十六字母の体系を生むにいたった。七音とは牙(が)音,舌音,脣(しん)音,歯音,喉(こう)音,半舌音,半歯音であって,この各音が全清,次清,全濁,清濁のカテゴリーに分けられ,全体で36の字母を区別した。そして206韻と36字母の組合せで音韻の全体系を図表化した韻図が発明されて,体系化は完成した。《韻鏡》《切韻指掌図》《切韻指南》《四声等子》などはその代表的なものである。一方,中国最古の詩集である《詩経》の研究はやがてその押韻に注意が向けられ,この古代の韻の分類が試みられるようになった。その試みは宋に始まり,明を経て清にはいると,顧炎武,江永,戴震,段玉裁,王念孫,孔広森,江有誥らの学者の手によって古韻の体系化がしだいに完成されていった。これを〈古音学〉という。
中国の音韻学はこのように各方面に相当の業績をあげて現代を迎えたが,それは現代の言語学の科学的理論によって再検討を必要とした。伝統的音韻学の中に新しい言語学的方法を導入して新しい音韻学の基礎を与えたのはスウェーデンの学者カールグレンである。現在はカールグレンの研究を土台として中国の学者や他の各国の学者によってますます精細になりつつある。
→韻書 →字音
執筆者:河野 六郎
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広義には、音韻に関する学問(この場合一般には「音韻論」とよぶ)をいうが、狭義には、日本語に取り入れられた中国漢字音と梵語(ぼんご)(サンスクリット)音を研究対象として、日本で形成された伝統的な学問全体をさす。中国本土で形成された中国音韻学とインドに起源をもつインド音韻学(悉曇(しったん)学ともいう)とは本来別の学問であるが、日本においては、平安初期に真言、天台両密教関係者によって中国から悉曇学が招来されて以来、この両者は明確には区別されて研究されず、融合した独自の学問として発達した。「韻学」と呼称する立場もある。音韻学は中国漢字音の渡来とともに始まり、主として僧侶(そうりょ)や儒学者によって仏典、漢籍の解読と漢詩文作成という営みに伴って発展、進化した。その際、漢字音研究には中国の『玉篇(ぎょくへん)』『切韻(せついん)』『玄応一切経(げんのういっさいきょう)音義』など、梵音研究には『悉曇字記』などが基本的文献として活用され、その注釈や改編などによって日本独自の研究書が多数出現した。その過程で日本語自体に関する認識も深まり、日本語アクセントの把握、五十音図の作成、濁点の発明などがすでに平安時代に行われた。鎌倉時代に至り、天台学僧信範(1223―97)が中国の『韻鏡(いんきょう)』を解釈して以後、音韻学は「韻鏡学」という性格を濃厚にし、江戸時代にはその極に達した。今日の「字音仮名遣い」は江戸時代韻鏡学の成果である。
[沼本克明]
『馬渕和夫著『日本韻学史の研究Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』(1962~65・日本学術振興会)』
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