木村駿吉(読み)きむらしゅんきち

精選版 日本国語大辞典 「木村駿吉」の意味・読み・例文・類語

きむら‐しゅんきち【木村駿吉】

  1. 物理学者。芥舟(かいしゅう)の子。江戸生まれ。東京帝大卒。海軍技師となり、松代松之助とともに海軍式無線電信による長距離通信に成功。工業用オゾン発生装置を発明。慶応二~昭和一三年(一八六六‐一九三八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木村駿吉」の意味・わかりやすい解説

木村駿吉
きむらしゅんきち
(1866―1938)

電信技術者。無線電信の開拓者の一人。幕臣木村喜毅(よしたけ)(摂津守(せっつのかみ)芥舟(かいしゅう))の次男として江戸に生まれる。1888年(明治21)帝国大学物理学科を卒業。第二高等学校教授、海軍教授などを経て海軍技師に任ぜられた。海軍の艦船に無線電信を設置する計画のもとに無線電信調査委員会が設けられ(1900)、委員に任命された。彼のつくった無線電信機器は兵器として採用され、改良が加えられた。日露戦争における日本海海戦(1905)の勝因哨艦(しょうかん)信濃丸(しなのまる)から発せられた「敵艦見ゆ」との無線電信にあったとされ、その功により勲三等に叙された。晩年は弁理士を開業するほか会社役員などを務めた。

山崎俊雄

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20世紀日本人名事典 「木村駿吉」の解説

木村 駿吉
キムラ シュンキチ

明治〜昭和期の弁理士 海軍技師。



生年
慶応2年10月(1866年)

没年
昭和13(1938)年10月6日

出生地
江戸

学歴〔年〕
帝国大学理科大学物理学科〔明治21年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲三等旭日章〔明治39年〕

経歴
第一高等中学校教諭となり、明治24年正月、講師の内村鑑三始業式教育勅語に礼拝しなかった内村事件に関連して休職。26年米国留学、30年帰国、第二高等学校教授となり、33年海軍教官から技師。35年欧米出張、無線技術を調査、無線設備の制定、日露戦争の時の無線電信開発などに貢献。横須賀海軍工廠造兵部員兼水雷学校教官、40年第2回万国無線電信会議に出席、大正元年退職、日本無線電信電話株式会社役員となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村駿吉」の解説

木村駿吉 きむら-しゅんきち

1866-1938 明治-昭和時代前期の通信技術者。
慶応2年10月生まれ。木村芥舟(かいしゅう)の次男。二高教授などをへて明治33年海軍技師となり,海軍艦船の無線設備の制定につくす。そのシステムは日露戦争の日本海海戦を勝利にみちびいたといわれる。昭和13年10月6日死去。73歳。江戸出身。帝国大学卒。

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