出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
木村芥舟
きむらかいしゅう
[生]天保1(1830).2.5. 江戸
[没]1901.12.9. 東京
江戸時代末期の軍艦奉行。名を喜毅 (よしたけ) ,字を天模,号を楷堂といい,隠居後,芥舟と称した。浜御殿奉行木村喜彦の子。浜御殿奉行見習,浜添奉行,講武所出役,西丸目付を経て,安政2 (1855) 年9月,一躍目付に昇進,図書 (ずしょ) と称する。同3年長崎におもむいてオランダ海軍伝習の監督にあたった。以来,海軍のことにたずさわり同6年軍艦奉行並,次いで軍艦奉行となって摂津守に叙任。万延1 (60) 年,日米修好通商条約批准書交換のための遣米使節を送って『咸臨丸』で太平洋を横断,帰国後辞職。元治1 (64) 年4月開成所頭取に任じられ,目付に転じ兵庫頭となるが,のち軍艦奉行に再任,幕末の海軍拡張に尽力。大政奉還後の幕府で海軍所頭取,勘定奉行などを歴任したが,新政府の江戸接収後は致仕して余生を風流におくった。『三十年史』などの著書がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
木村芥舟 (きむらかいしゅう)
生没年:1830-1901(天保1-明治34)
江戸末期の軍艦奉行。諱(いみな)は喜毅,明治後の名は毅,芥舟は号。江戸の浜奉行の家に生まれ,1855年(安政2)講武所出役,56年目付と,非常時人材登用のコースに乗り,長崎に派遣されて海軍伝習を監督した。59年に軍艦奉行となり,60年(万延1)の咸臨丸による渡米の最高責任者であった。その下の指揮役が勝海舟である。しかし66年(慶応2)には立場が逆転し,明治以後は《海軍歴史》など海舟の著述の史料整理に従った。
執筆者:松浦 玲
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
木村芥舟 きむら-かいしゅう
1830-1901 幕末の武士。
文政13年2月5日生まれ。幕臣。軍艦奉行となり,万延元年遣米使節の随伴艦咸臨丸(かんりんまる)の提督として勝海舟らとともに太平洋を往復。のち開成所頭取,軍艦奉行,海軍所頭取を歴任。維新後は詩作,著述にしたしんだ。明治34年12月9日死去。72歳。名は喜毅(よしたけ)。通称は勘助,摂津守。著作に「三十年史」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 