本大工町(読み)もとだいくまち

日本歴史地名大系 「本大工町」の解説

本大工町
もとだいくまち

[現在地名]長崎市うおまち

中紺屋なかこうや町の西、中島なかしま川右岸にある長崎そと町の一ヵ町で、陸手に属した。町並はほぼ南北に形成され、南は新橋しんばし町に通じる。元和八年(一六二二)のドミニコ会宛の長崎ロザリオ組中連判書付に「本大工町」の「志門」「るしや」が署名している。また「今大工町」の「はうろ」「理庵」らの署名がみえる。寛永一九年(一六四二)平戸町人別生所糺によれば、平戸ひらど町のかミや伝兵衛の奉公人平左衛門尉は肥前吉田村(現未詳)生れで、同一七年に「長崎本大工町」に来たという。なお同帳に「長崎今大工町」とみえ、新たに町立てされた大工町であるが、新大工しんだいく町も記されており、つまびらかではない。


本大工町
ほんだいくまち

[現在地名]水戸市大工だいく町一丁目

東はいずみ町、西は柵門(元禄三年の令で向町見付)向井むかい町と境し、柵門の南北に外堀があった。「水府地名考」に「此町には昔大工の輩のミ住せしゆへ此名有りと見ゆ」とみえる。寛永年間(一六二四―四四)城下町の整備を行い、「探旧考証」の寛永一五年一一月の記事に「当年水戸御城惣曲輪御普請アリ(中略)泉丁金町外(ママ)ノ堀モ此時ノ御普請成ヘシ」とみえ、この際「この町の内堀土手になりし故夫等の宅地向井町の後ろに賜る其所を新大工町といふ是に対して本の字を加へしとなり」と「水府地名考」に記す。


本大工町
もとだいくまち

[現在地名]上越市なか町四丁目

桶屋おけや町の北に続く西裏町にしうらまち通の両側町。単に大工町ともいう。正徳年間(一七一一―一六)の高田町各町記録(榊原家文書)に「本大工町と申名由緒福島越已来大工職仕候故、大工町と名付来申候」とある。天和期(一六八一―八四)の調では役を負担する町で屋敷数二一、名主がいる(頸城郡誌稿)


本大工町
ほんだいくちよう

[現在地名]小松市本大工町・本大工町一―三丁目

塗師屋ぬしや町の西に並行する短い南北通りで、その西は大文字だいもんじ町地方・なか町地方。長さ一町五間・幅一間三尺(皇国地誌)町名由来は大工職人が多く居住していたことによる。初め大工町といったが、前田利常の小松城改築の時、大工御用を勤める人々を住まわせた地を新大工町としたので、本大工町と改めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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