本谷村
ほんだにむら
[現在地名]本郷村大字本谷
玖珂郡北部、奥山代の中心本郷村の北に続く村。北と東西は山が高く、そこから流れ出る本谷川に沿った谷間の村である。萩藩領で、奥山代宰判に属した。
「山代温故録」によれば、慶長一二年(一六〇七)の検地の際、「此時村邑分り定まる、本郷一邑を分て六ケと成、所謂市・郷・宇塚・本谷・黒沢・秋懸是なり」とあるが、同一五年に出来上った検地帳には本郷一村で、本谷ほか三村の名は現れない。村名の初見は「地下上申」で、その由来を「本谷村と申は尾垰をも無
御座
、谷壱ツに而御座候故、誠に本谷と申来たる由、申伝にて御座候事」とする。
本谷村
ほんやむら
[現在地名]いわき市泉町本谷・泉ヶ丘
南は滝尻村、東は南富岡村、北は馬玉村。菊多郡に属した。近世の領主の変遷は磐城平藩領から寛永一一年(一六三四)以降泉藩領。文禄四年(一五九五)の四郡検地高目録に「ほのや村」とみえ、高三三〇石余。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)に「本やえ村」とみえ、高四一七石余。
本谷村
ほんだにむら
[現在地名]北条市本谷
粟井川中流にある農村。小川谷・客・西谷・安岡・常竹・佐古の村々に囲まれる。
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の風早郡の項に「本谷村 小川有」とみえ、村高は二三二石六斗三升、うち田方一四八石一升八合、畑方八四石六斗一升二合とある。
中世は河野氏の分流南氏の勢力下にあり、村内の雲門寺は南通武以来代々の菩提寺である。
本谷村
もとだにむら
[現在地名]西吉野村大字本谷
宗川沿い、立川渡村の東にある。江戸時代初期は立川渡村のうち、元禄三年(一六九〇)の新検高之帳(天理図書館蔵)に「本谷村」とみえるから、この年以前に分村したのであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 