本野原遺跡(読み)もとのばるいせき

日本歴史地名大系 「本野原遺跡」の解説

本野原遺跡
もとのばるいせき

[現在地名]宮崎市田野町 本野原甲

宮崎市南西部にあたるわにつか山系の麓、別府びゆう田野たの川と片井かたい川に挟まれた標高約二〇〇メートルの台地上に位置する。周辺には遺構遺物ともに密度の濃い縄文時代遺跡が点在する。この台地は通称高峰たかみねともよばれており、田野盆地および市内平野部への眺望もよく、大正時代には四国八十八ヶ所札所巡りを模した巡礼地として群像仏や観音像などが置かれていた。

当遺跡は縄文時代後期集落遺跡を中心とした、旧石器時代から中世にかけての複合遺跡で、以前から土器などが容易に表採できる地として知られていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「本野原遺跡」の解説

もとのばるいせき【本野原遺跡】


宮崎県宮崎市田野町にある集落跡。鰐塚山(わにつかやま)の麓に広がる扇状地に形成された標高約180mの台地上に所在する複合遺跡。旧石器時代から縄文時代を通じて継続された集落で、中心となる縄文時代後期の九州地方では類例の少ない大規模な集落であることが判明し、2004年(平成16)に国の史跡に指定された。集落の構造は、径80mから100mの範囲をすり鉢状にアカホヤ火山灰を大規模に削平した後、広場を中心に、土坑、掘立柱建物、竪穴(たてあな)住居が径100mにわたって、環状に配置されている。広場は祭祀空間とみられ、中央部には配石や土坑を構築。竪穴住居は環状の北側と東側に集中し、土坑は広場に接して外側に分布。なかには骨粉が出土した墓坑と考えられるものもあった。環状の北側には掘立柱建物が整然と南北方向に並ぶ。南東部の斜面からは大量の土器が出土していることから、土器溜まりが形成されていたものと考えられる。出土遺物は土器が多く、石器では磨り石や石皿などの食料加工具の比率が高い。集落の西側にも遺構や遺物が濃密に分布していることや出土遺物などから集落が西側へ移動したことが推測されている。JR日豊本線田野駅から車で約18分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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