本間家(読み)ほんまけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「本間家」の意味・わかりやすい解説

本間家
ほんまけ

江戸期の豪商、昭和初期の日本一の大地主。山形県酒田に居住。先祖は戦国期とする説もあるが、後の本間家初代は本間久左衛門(きゅうざえもん)の一奉公人で、1689年(元禄2)分家独立した本間久四郎原光(はらみつ)であるとする説が有力。以後、光寿(みつとし)、光丘(みつおか)、光道(こうどう)、光暉(こうき)、光美(みつよし)、光輝(みつてる)、光弥(みつや)、光正、真子(まさこ)と嗣(つ)ぐ。2代光寿の代には酒田随一の豪商となり、宝暦(ほうれき)~天明(てんめい)年間(1751~89)の光丘時代には庄内(しょうない)藩、米沢(よねざわ)藩など諸藩の御用商人として活躍。維新期には巨額の基金を新政府へ拠出した。明治以後、倉庫業、金融業、地主経営の面で発展したが、第二次世界大戦後の農地改革で多くは解体した。

[横山昭男]

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旺文社日本史事典 三訂版 「本間家」の解説

本間家
ほんまけ

江戸時代,羽後(山形県)酒田の豪農商
廻船問屋として,庄内・最上地方の米・藍・漆・蠟・紅花・からむしなどの産物大坂で販売し,また大坂の商品を庄内・出羽地方に販売して巨利を得た。18世紀末には24万石の大地主となり,庄内藩はじめ近隣諸藩にも財政的に大きな影響力をもった。明治時代以後は典型的な寄生地主となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本間家」の意味・わかりやすい解説

本間家
ほんまけ

出羽国酒田の豪商。戦国時代越前から移住した本間光重を初代とし,元禄期 (1688~1704) に発展。米,藍,紅花などを大坂に運び,帰り荷の精製品を売って土地を買い集め,千町歩地主と呼ばれ,藩政改革にも協力した。

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