20世紀日本人名事典 「杉浦 忠」の解説
杉浦 忠
スギウラ タダシ
昭和・平成期のプロ野球選手,野球評論家 元・福岡ダイエーホークス球団常務・編成部長。
- 生年
- 昭和10(1935)年9月17日
- 没年
- 平成13(2001)年11月11日
- 出生地
- 愛知県豊田市
- 学歴〔年〕
- 立教大学経済学部〔昭和33年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 豊田市栄誉賞〔平成8年〕
- 経歴
- 挙母高(現・豊田西高)から立教大に進学し、下手投げに転向してエースに。長嶋茂雄、本屋敷錦吾らとともに東京六大学野球リーグで活躍した。昭和33年南海(現・ダイエー)に入団、27勝をあげて新人王。翌34年には38勝4敗をマークし投手部門のタイトルを独占。同年の日本シリーズ・対巨人戦では4連投4連勝を成し遂げ、日本一に大きく貢献し、MVPを獲得。南海の黄金時代を支え、45年引退。現役通算13年、187勝106敗、防御率2.39。下手投げの華麗なフォームから“伝説のサブマリン”といわれた。のち近鉄コーチ、毎日放送野球解説者を経て、61年南海監督、平成元年ダイエー監督を歴任。同年福岡ダイエー・ホークス球団取締役に就任。のち常務、球団編成部長兼海外部長も務めた。5年12月退任。7年野球殿堂入り。13年11月プロ野球OBのマスターズリーグに参加、亡くなる前日まで大阪ロマンズのコーチを務めていた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報