出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランス学者。下野(しもつけ)国(栃木県)佐久山の本陣、村上松園の長子として生まれる。江戸で医学、蘭学(らんがく)を修め、信州松代(まつしろ)に移り、佐久間象山(しょうざん)の火薬製造が機縁でフランス語を独修し、仏学事始の偉業を行う。江戸出府後、『三語便覧』三巻(1854)、『洋学捷径仏英訓弁』(1855)、『五方通語』(1857)、『仏語明要』(1864)、『明要附録』(1870)、『仏英独 三国会話』(1872)など辞書の編纂(へんさん)、ジャック・ルイ・ダニエルの『西洋史記』などの翻訳をし、レジオン・ドヌール勲章を授けられ、東京学士会院会員に選ばれた。青山墓地に葬られる。
[富田 仁]
『富田仁著『フランス語事始――村上英俊とその時代』(1983・日本放送出版協会)』
(田中貞夫)
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…佐久間象山も憧れ,頼山陽は1818年(文政1)に在世中のナポレオンをたたえる詩《仏王郎詩》を書いている。 松代藩の蘭学者,村上英俊はスウェーデンの学者ベーセリウスの《化学提要》を注文したところ,フランス語の原本が届いたことからフランス語を独学で覚え,1854年(嘉永7)《三語便覧》3巻,64年(元治1)《仏語明要》4巻を刊行し,仏学の祖といわれた。1844年那覇に入港したフランスの軍艦アルクメーヌ号で渡来したパリ宣教師会師フォルカードは,1年滞在し日本語を学習した。…
…開国後は蕃書調所(ばんしよしらべしよ)でフランス語の学習・教授が始められた(1860)ほか,フランス政府の協力のもとに,通訳やフランス語に通じた士官養成の機関として横浜仏蘭西語学伝習所が設立(1865)され,フランス人による教授が開始された。維新以後は新政府の欧米文化導入政策を背景に,外国語,ことに英語を中心とする洋学塾が明治初期に隆盛を見たが,日本フランス学の始祖といわれる村上英俊(ひでとし)(1811‐90)の主宰する達理堂,フランス留学から帰った中江兆民の開いた〈仏学塾〉ではフランス語が講じられ,多くの門弟を集めた。官立の教育機関では幕末の開成所を引き継いだ大学南校,また東京外国語学校(1873設立)などでフランス語教育が行われたが,ことに法学や兵学の分野で重んじられたフランス語は,司法省明法寮(1871設立)や陸軍士官学校(1874設立)の教科にも採り入れられた。…
※「村上英俊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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