デジタル大辞泉
「村上英俊」の意味・読み・例文・類語
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むらかみ‐ひでとし【村上英俊】
- フランス語学者。下野(栃木県)の人。医学、蘭学を修めたのち、佐久間象山の勧めでフランス語を学ぶ。幕府の蕃書調所で、維新後は家塾達理堂でフランス語を教授また、翻訳に従事し、フランス語学界のために尽力。明治一八年(一八八五)レジオン‐ドヌール勲章を受章。著「三語便覧」「五方通語」「仏語明要」、訳「西洋史記」など。文化八~明治二三年(一八一一‐九〇)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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村上英俊 (むらかみひでとし)
生没年:1811-90(文化8-明治23)
医師,フランス学者。下野の人。医師の家に生まれ,江戸で成長。儒学・医学・蘭学を学び1833年(天保4)信濃松代で町医を開き,のち松代藩医となった。佐久間象山にすすめられてフランス語を学び,51年(嘉永4)江戸へ出て研究に専念,フランス語研究の先駆者となった。幕府の蕃書調所教授となり,維新後は家塾達理堂で多くの門弟を教えた。化学の分野でも業績がある。82年東京学士院会員となった。著書に《三語便覧》《五方通語》《西洋史記》などがある。
執筆者:田村 貞雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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村上英俊
むらかみひでとし
(1811―1890)
フランス学者。下野(しもつけ)国(栃木県)佐久山の本陣、村上松園の長子として生まれる。江戸で医学、蘭学(らんがく)を修め、信州松代(まつしろ)に移り、佐久間象山(しょうざん)の火薬製造が機縁でフランス語を独修し、仏学事始の偉業を行う。江戸出府後、『三語便覧』三巻(1854)、『洋学捷径仏英訓弁』(1855)、『五方通語』(1857)、『仏語明要』(1864)、『明要附録』(1870)、『仏英独 三国会話』(1872)など辞書の編纂(へんさん)、ジャック・ルイ・ダニエルの『西洋史記』などの翻訳をし、レジオン・ドヌール勲章を授けられ、東京学士会院会員に選ばれた。青山墓地に葬られる。
[富田 仁]
『富田仁著『フランス語事始――村上英俊とその時代』(1983・日本放送出版協会)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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村上英俊
没年:明治23.1.10(1890)
生年:文化8.4.8(1811.5.29)
幕末明治期のフランス学者。フランス学の創始者ともいわれる。下野国佐久山(栃木県大田原市)生まれ。英俊は通称,明治5(1872)年の末ごろ松翁と改称。江戸で医学,蘭学を修業したのち,信州松代に移住。嘉永1(1848)年,佐久間象山の勧めにより,フランス語を独習するが,その背景に妹於順の存在と,松代藩主真田家の後援を見逃せない。同4年江戸に出て松代藩邸内に住み,著作に専念,多くの書物を刊行。また明治1年3月15日,仏学塾達理堂を開いた。同18年,フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与された。<著作>『三語便覧』『仏語明要』<参考文献>田中貞夫『幕末明治初期フランス学の研究』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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村上英俊 むらかみ-ひでとし
1811-1890 幕末-明治時代のフランス語学者。
文化8年4月8日生まれ。信濃(しなの)(長野県)松代(まつしろ)藩医。佐久間象山のすすめでフランス語を独学。江戸にでて辞書「三語便覧」「仏語明要」などをあらわす。慶応4年(1868)私塾達理堂をひらき,フランス語をおしえた。わが国フランス学の始祖。明治23年1月10日死去。80歳。下野(しもつけ)(栃木県)出身。名は義茂。字(あざな)は棟梁。号は茂亭など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の村上英俊の言及
【フランス】より
…佐久間象山も憧れ,頼山陽は1818年(文政1)に在世中のナポレオンをたたえる詩《仏王郎詩》を書いている。 松代藩の蘭学者,村上英俊はスウェーデンの学者ベーセリウスの《化学提要》を注文したところ,フランス語の原本が届いたことからフランス語を独学で覚え,1854年(嘉永7)《三語便覧》3巻,64年(元治1)《仏語明要》4巻を刊行し,仏学の祖といわれた。1844年那覇に入港したフランスの軍艦アルクメーヌ号で渡来したパリ宣教師会師フォルカードは,1年滞在し日本語を学習した。…
【フランス語】より
…開国後は[蕃書調所](ばんしよしらべしよ)でフランス語の学習・教授が始められた(1860)ほか,フランス政府の協力のもとに,通訳やフランス語に通じた士官養成の機関として横浜仏蘭西語学伝習所が設立(1865)され,フランス人による教授が開始された。維新以後は新政府の欧米文化導入政策を背景に,外国語,ことに英語を中心とする洋学塾が明治初期に隆盛を見たが,日本フランス学の始祖といわれる村上英俊(ひでとし)(1811‐90)の主宰する達理堂,フランス留学から帰った中江兆民の開いた〈仏学塾〉ではフランス語が講じられ,多くの門弟を集めた。官立の教育機関では幕末の開成所を引き継いだ大学南校,また東京外国語学校(1873設立)などでフランス語教育が行われたが,ことに法学や兵学の分野で重んじられたフランス語は,司法省明法寮(1871設立)や陸軍士官学校(1874設立)の教科にも採り入れられた。…
※「村上英俊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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