プロ野球選手(投手:右投右打)、監督。12月10日、兵庫県生まれ。住友工業高(現、尼崎(あまがさき)産業高)、関西大学を経て、1959年(昭和34)に大阪タイガース(現、阪神タイガース)へ入団。ダイナミックな投球フォームで打者に立ち向かう姿は、「人間機関車」と称された陸上長距離選手ザトペックになぞらえられ、「ザトペック投法」とよばれた。得意のフォーク・ボールが威力を発揮し、1年目から18勝して最優秀防御率のタイトルを獲得、その熱投ぶりが評価され、沢村賞にも選ばれた。同年6月25日、昭和天皇を迎えての天覧試合、対読売ジャイアンツ(巨人)戦で長嶋茂雄(しげお)に劇的なサヨナラホームランを浴びたことは有名である。以降は長嶋と巨人に対して闘争心をむき出しにして勝負を挑み続けた。1962年は2回目の最優秀防御率で最高殊勲選手(現、最優秀選手)、1965年と1966年には最多勝利と最多奪三振のタイトルを奪取し、2年連続沢村賞を受賞。1970年には、セ・リーグ記録(2007年時点)として残るシーズン防御率0.98で3回目の最優秀防御率に輝いた。同年から監督兼任。1972年開幕直後に監督を退任し、シーズンの残りを投手に専念して臨んだが4勝6敗に終わり、現役を引退した。現役通算222勝は歴代13位である。その背番号11は阪神の永久欠番。1988年、1989年(平成1)にはふたたび阪神の監督を務めた。
[出村義和]
選手としての14年間の通算成績は、登板試合509、投球回3050と3分の1、222勝147敗、防御率2.09、奪三振2271、完投192、完封55。獲得したおもなタイトルは、最多勝利2回、最高勝率1回、最優秀防御率3回、最多奪三振2回、最高殊勲選手(現、最優秀選手)1回、沢村賞3回、ベストナイン3回。監督としての通算成績(5年)は、528試合、241勝271敗16分け、勝率4割7分1厘。1993年(平成5)野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。
[編集部 2016年9月16日]
『村山実著『炎のエース――ザトペック投法の栄光』(1993・ベースボール・マガジン社)』
昭和・平成期のプロ野球選手,プロ野球監督,野球評論家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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