村川堅太郎(読み)むらかわけんたろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「村川堅太郎」の意味・わかりやすい解説

村川堅太郎
むらかわけんたろう
(1907―1991)

わが国を代表する西洋古代史家。東京生まれ。1930年(昭和5)東京帝国大学西洋史学科卒業。35年から68年(昭和43)まで東京大学の教壇に立ち、該博かつ厳密な学風をもって後進の育成にあたった。日本学士院会員。ギリシアローマの社会経済史的研究本領とし、「羅馬(ローマ)大土地所有制」(『社会構成史大系』Ⅱ)、「デーミウールゴス」(『史学雑誌』64―11)など、精密な史料分析と適確な理論的考察とに支えられた多数の論文によって、わが国西洋史学の水準を一挙に高めた。アリストテレスアテナイ人の国制』をはじめ、ギリシア古典の翻訳ならびに注釈に関する業績も数多い。

伊藤貞夫

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村川堅太郎」の解説

村川堅太郎 むらかわ-けんたろう

1907-1991 昭和時代の西洋史学者。
明治40年4月13日生まれ。村川堅固の子。昭和22年母校東大の教授となる。専門は古典古代史。原史料の実証的分析により,社会経済史的な研究に道をひらいた。世界史の教科書編集,古典翻訳でも著名。平成3年12月23日死去。84歳。東京出身。著作に「ギリシアとローマ」「古典古代の市民たち」など。

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世界大百科事典(旧版)内の村川堅太郎の言及

【西洋史学】より

…〈近代化〉という実践的な問題意識のもとで,封建制,絶対主義,市民革命,産業革命などの諸問題が,世界史の立場から比較史的方法にもとづいて研究され,また現代史の分野では帝国主義と民族独立運動,ファシズムと国際的労働運動・社会主義革命などのテーマも,欧米学界の新たな成果や史料収集に支えられて,本格的に取り組まれるようになった。古典古代史の領域でも,村川堅太郎(1907‐91)が市民共同体としてのポリス社会の諸問題に関する高度に実証的な研究の道をきりひらき,多くのすぐれた研究者を育てた。こうして西洋史学は,旧来のいわゆる人文科学の枠をこえて,新しい社会科学の諸分野,とりわけ経済史と密接に交流しつつ,研究の幅を飛躍的に広げたが,70年代以降は,戦後史学で支配的だった社会構成史や発展段階理論への反省から,民俗学や文化人類学などの方法に学びつつ,全体史的な観点に立つ〈社会史〉が提唱され,とりわけ中世史,初期近代史の分野で意欲的な研究が進められている。…

※「村川堅太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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