日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジャガイモ」の意味・わかりやすい解説
ジャガイモ
じゃがいも
[学] Solanum tuberosum L.
ナス科(APG分類:ナス科)の多年草。ジャガタライモ、バレイショ(馬鈴薯)、ゴショイモ(五升薯)などともいう。世界のいも類のうちでもっとも広い範囲に、もっとも大量に生産されている重要作物である。茎は高さ0.5~1メートルになり、若い茎の断面は円形であるが、成長するとやや角張り3~5稜(りょう)の稜翼が発達する。葉は羽状複葉で互生するが、生育初期の下位の葉は単葉である。また、若い葉は顕著な就眠運動を行う。茎葉は多汁質で特有の臭気がある。茎の頂部から、先端部で2~3本に分かれる長い花柄を出し、それぞれの先に数個の花をつける。萼(がく)は5枚で短く、花冠は星形に5裂する。花冠の色は白、紫、黄色など。風媒花であるが、ほとんどが自家受粉する。果実は直径1、2センチメートルで、トマトに似た形で黄色に熟す。果実内部は2室に分かれ、100~400個の種子がある。地下部の茎から、はうように伸びる匍匐茎(ほふくけい)を出す。ジャガイモではこれを匐枝(ふくし)といっているが、花の咲くころ、この先端部に塊茎(いも)が形成される。すなわちジャガイモのいもは匐枝の先端部の12~20の節が詰まって肥大したものである。いもの形は品種により丸いものから細長いものまでさまざまで、栽培環境でも多少形が変わる。ジャガイモの目とよばれるくぼみは、節の葉と枝が生ずる部分で、それぞれの目には数個の潜芽群がある。いもの表面は周皮で、白、黄、黄褐、紅、紫色などを呈し、成熟するとコルク層となる。その下の数ミリメートルから1センチメートルの部分は皮層で、その内側に維管束輪があり、その内側の大部分は髄である。
[星川清親 2021年6月21日]
栽培
いもの芽は、収穫後一定の休眠期間を経過したのち、適当な条件のもとで発芽する。栽培には、2~4個に切断した種いもを植え付ける。春作の植え付けは、北海道で5月上・中旬を中心に4月下旬から6月上旬まで、本州の中部以北地帯では3月中旬から4月上旬まで、暖地は2月上・中旬である。暖地では秋作も行われ、7月下旬~9月中旬に植え付ける。植え付ける深さは5センチメートル、条間60~70センチメートル、株間は30~35センチメートルとする。発芽までに日数がかかるので、植え付け後、2~3日目に除草剤を散布する。培土は除草を兼ねて1~2回行い、つぼみがつく時期までには終わらせる。ジャガイモはウイルスによる病気が重大であるが、ウイルス病に効く薬剤はないので、薬剤による防除は困難である。そのため、健全な種いもを用いて、ウイルス病を予防することがたいせつで、日本では農業・食品産業技術総合研究機構の種苗管理センターがウイルスをもたない原原種を生産し、これをもとにして種いもを生産し、全国に配布するシステムが敷かれている。
収穫は、茎葉が黄変して枯れ、いもが充実し、周皮がはげにくくなり、匐枝から離れやすくなったときに行う。北海道では早生(わせ)品種で8月下旬~9月上旬に、晩生(おくて)品種で10月上旬に収穫する。暖地の春作は6月下旬~7月上旬に収穫し、秋作の収穫は11月~12月となる。貯蔵は初め10℃くらい、しだいに低温にし、最終温度は2~4℃で呼吸を抑えると、新鮮度を保つ。簡便法として土に埋める土溝法も行われる。食用や加工用の貯蔵には、マレイン酸ヒドラジドやγ(ガンマ)線による発芽抑制処理も行われ、周年出荷が図られている。
[星川清親]
品種
日本の主要品種は男爵である。これは、アメリカから導入したアイリッシュ・コブラーの馴化(じゅんか)品種で、早生でやや扁球(へんきゅう)形、黄白色、目が深くくぼみ、肉は白色で収穫量は多い。そのうえ味がよく、食用として全国的に栽培されている。ついで作付面積が多いのは農林1号である。これは、中生(なかて)種でやや扁球形、黄白色で味がよい。食用、デンプン兼用の品種で収穫量も多い。北海道をはじめ全国で栽培され、暖地の秋作にも用いられる。
これらのほか、主要品種として、紅丸(べにまる)は晩生種で、いもは長卵形、淡紅色で、味はよくないが収穫量が多く、デンプン用に栽培される。おもに北海道でつくられるが、九州でも栽培される。メークイーンは中生種で、長紡錘形、肉は黄白色で味がよく、煮くずれしにくい優良種である。北海道南部、九州で栽培される。新品種として、食用のワセシロ、加工用のトヨシロ、デンプン原料用のビホロ、タルマエなどがあり、有望視されている。秋作用の品種には、タチバナ、ウンゼン、シマバラ、チヂワ、デジマなどがある。
[星川清親]
生産高
世界の総作付面積は1930万ヘクタール、総生産高は3億8819万トンである。生産高の順にあげると、第1位が中国で9921万トン、第2位がインドで4861万トン、第3位がロシアで2959万トン、第4位がウクライナで2221万トン、第5位がアメリカで2002万トンとなっている(2017)。ほかにドイツ、バングラデシュ、ポーランド、オランダ、フランスなどが主産国である。
日本の生産状況(2015)をみると、作付面積は7万7400ヘクタール、生産高は240万6000トンである。そのうち北海道が全国の収穫量の79%を占めており、明治以来の第1位の生産地である。ついで東北、関東に多い。西南暖地では一般に少ないが、長崎県は春植7万4500トンと秋植1万8500トンを加えて9万3000トンで、全国第2位の生産県である。
[星川清親 2021年6月21日]
起源と伝播
現在広く栽培されるものは四倍種で、アンデス山岳地帯のペルーとボリビアにまたがる標高4000メートルにあるティティカカ湖周辺で、500年ころに成立した。それまでは数種の二倍種がペルー、ボリビアを中心にエクアドル、コロンビア、ベネズエラの限られた地域で栽培されていた。
四倍種の起源については、栽培二倍種であるステノートマムS. stenotomum Juz. et Buk.と同じく栽培二倍種のフレーヤS. phureja Juz. et Buk.との雑種の染色体倍加によるとする説と、ステノートマムと野生二倍種のスパルシピラムS. sparsipilum (Bitt.) Juz. et Buk.との雑種の染色体倍加によるとする説の2説がある。このいずれかによって栽培四倍種のアンディゲナS. andigena Juz. et Buk.が成立した。このアンディゲナが南北に伝播(でんぱ)し、コロンブスの新大陸発見(1492)当時にはメキシコからチリ南部に至る地域で栽培されていた。アンディゲナは長日条件下ではいもが形成されないが、この伝播の過程で、長日下でもいもを形成する、現在の栽培種テュベローサムS. tuberosum L.が成立した。
旧大陸へは、1570年にメキシコからスペインに導入され、16世紀に広くヨーロッパの北方の国々に伝播した。イギリスにはこれとは別に1590年に導入、北アメリカには1621年にヨーロッパから導入された。インドには16世紀に、インドネシアや中国には16世紀にオランダ人により導入された。
[田中正武 2021年6月21日]
日本には1601年(慶長6)に、ジャカトラ港(現在のジャカルタ)からオランダ船によって長崎県の平戸(ひらど)に運ばれたのが最初で、ジャガタライモと名づけられた。それが略されてジャガイモとよばれるようになった。寛政(かんせい)年間(1789~1801)にはロシア人が北海道や東北地方に伝え、エゾイモの名で東北地方へ広がった。日本でも最初はヨーロッパ同様観賞植物扱いであったが、その後飢饉(ききん)のたびに食糧として関心が高まった。甲斐(かい)(山梨県)代官中井清太夫(せいだゆう)の尽力により、食糧難を乗り越えたことから「清太夫いも」の名でよばれたこともあるなど各地に逸話が残っている。こうして19世紀後半の幕末までには救荒作物として全国的に広がった。しかし本格的に普及したのは、明治初期に北海道開拓使などがアメリカから優良品種を改めて導入してから以降のことである。
[星川清親 2021年6月21日]
食品と利用
ジャガイモはデンプン含量が高く、味がよく、また淡泊なので主食にも適している。野菜としていもを調理する場合と、いもからとったデンプンを利用する場合とがある。日本では、ジャガイモの秋作の大部分と、春作の約20%が野菜として消費されている。いもの可食部100グラム中には、炭水化物17.2グラム、タンパク質2グラム、脂質0.2グラムが含まれ、77キロカロリーである。ビタミンB1、Cなどもかなり多く、これらの給源としても重要である。いもには、ソラニンsolaninというアルカロイド配糖体が100グラム中2~9ミリグラム含まれ、とくに若いいもや、成熟したいもの芽や皮の部分に多く、いもが日光に当たって緑色になると急増する。ソラニンは苦味があり、多量に摂取すると有毒なので、調理の際に芽や緑色になった皮部がある場合は除去する。
調理法は非常に多いが、和風ではみそ汁の実や煮つけなどに利用される程度である。洋風では、ポタージュ、シチュー、バター煮、粉吹(こふ)きいも、マッシュポテト、ポテトグラタン、ベークドポテト、ポテトチップ、フレンチポテト、コロッケなど、煮物から焼き物、揚げ物と多様である。ジャガイモの原産地の南アメリカ、アンデス高地では、チューニョchuñoとよばれるインディオのジャガイモ料理が、2000年来続いている。収穫したいもを戸外に置くと、夜間凍結し、日中に解氷する。これを1週間ほど続けたのち、何度も足で踏みつけて、残っている水分と苦汁を絞り出す。さらに1週間ほど凍結・解氷を繰り返すと、コルク状で軽くて堅く乾いたチューニョができる。これを水につけてもどし、肉とともに煮るのがインディオの料理法である。中国料理の材料の洋芋は、ジャガイモの皮をむき一度蒸してから乾かしたものである。
デンプンの含有率は、野菜用では十数%であるが、デンプン採取用品種では30%に達するものもある。日本では、生産量の約35%がデンプン採取用である。ジャガイモのデンプン粒は大粒で品質がよく、かまぼこなどの水産練り製品に使用されるものが量的にもっとも多い。ほかに紡績、製紙の糊料(こりょう)とされる。菓子用には、ジャムの添加物や飴(あめ)に使用される。アルコール、焼酎(しょうちゅう)の製造の原料にもなる。市販のかたくり粉はほとんどがジャガイモデンプンである。また、薬用にも使われ、日本薬局方のバレイショデンプンは、天花粉(てんかふん)(キカラスウリの根のデンプン)の代用として「シッカロール」(汗知らず)に配合される。
[星川清親]
文化史
ジャガイモの伝播(でんぱ)には諸説があるが、遅くとも16世紀末までに、スペイン、イタリア、オランダ、イギリスなどに伝わり、チューリップをオランダにもたらしたライデン大学教授のクルシウスやイギリス本草学の祖ジェラードなど植物学者の注目を浴びた。続く17世紀はヨーロッパではジャガイモが冷遇された時代で、らい病をもたらすとか、聖書にない不浄の作物として嫌われた。ヨーロッパでもっとも早く普及したのはプロイセン(ドイツ)で、フリードリヒ1世(在位1701~1713)が栽培を義務づけて奨励、次のフリードリヒ・ウィルヘルム1世(在位1713~1740)は農民に栽培を強制し、反対者を武力で押さえた結果、ムギ類にかわって主食になり、戦争や天候不順で十分な食糧生産ができなかった地が飢えから解放され、国力も増し、19世紀のドイツの発展につながった。
フランスでは薬学者のアントアーヌ・オーギュスタン・パルマンティエがジャガイモの優秀性に気づき、1773年にルイ16世(在位1774~1792)にジャガイモの花束を献上し、救荒食物として勧めた。それに賛同した国王は王妃マリ・アントアネットにその花を身に着けさせて夜会に臨ませ、社交界の関心を集めさせた。一方、ジャガイモ畑に国王の親衛隊を派遣、昼間は見張りをさせるが夜は監視を解いて引き上げさせ、「国王の作物」を盗み出しやすいようにして庶民に広める作戦をとった。パルマンティエはジャガイモ料理を種々考案し晩餐(ばんさん)会をたびたび開いて、上流階級への普及に努め、その名を現在もフランスのいくつかのジャガイモ料理にとどめている。イギリスでもジャガイモは国策によって評価が左右された。ジョージ2世(在位1727~1760)の時代は法令で禁じられたこともあったが、ジョージ3世(在位1760~1820)の時代に広く行き渡った。
日本へは江戸初期に渡来し、当初は南京(ナンキン)芋の名も記録されている(『長崎両面譜』1576)。馬鈴薯(ばれいしょ)の名は、小野蘭山(おのらんざん)が『耋莚小牘(てつえんしょうとく)』(1808)で、ジャガタライモを中国の『松渓懸志』に出るつる植物の馬鈴薯に誤ってあてたことに始まる。この誤用に牧野富太郎は強く反対した(『科学知識』14―5「植物裁判」)。現在、文部科学省をはじめ教科書や、おもな植物図鑑などではジャガイモの名をとるが、農林水産省の試験場などではバレイショで通用している。ジャガイモの主要品種の男爵は函館船渠(はこだてせんきょ)(現、函館どつく)専務の川田龍吉(かわだりょうきち)男爵にちなんだ名で、1907年(明治40)アメリカから導入した品種のアイリッシュ・コブラーIrish Cobblerが、北海道七飯(ななえ)町にあった彼の農場から広まったことによる。英名は、アイルランドの靴屋のことで、それをみいだした人の職業からつけられた。もう一つの代表品種メークイーンMay Queenは、イギリスの品種で、1917年(大正6)渡来した。
[湯浅浩史 2021年6月21日]