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東久世通禧 ひがしくぜ みちとみ

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美術人名辞典の解説

東久世通禧

幕末・維新の尊攘派公卿。通徳の子。号は竹亭・古帆軒。七卿の一人。文久2年の政変の際三条実美らと西走。王政復古とともに帰洛し、貴族院・枢密院副議長等を歴任。従一位。明治45年(1912)歿、80才。

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デジタル大辞泉の解説

ひがしくぜ‐みちとみ【東久世通禧】

[1834~1912]幕末の公卿。七卿落ちの一人。京都の人。号、竹亭など。尊王攘夷(じょうい)派として活躍。明治新政府の外交にあたり、のち元老院議官・枢密院副議長などを歴任。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

東久世通禧 ひがしくぜ-みちとみ

1834*-1912 幕末-明治時代の公卿(くぎょう),華族。
天保(てんぽう)4年11月22日生まれ。東久世通峯(みちみね)の孫。文久3年(1863)京都から長州にのがれた七卿(しちきょう)のひとり。新政府で軍事参謀,兵庫・横浜裁判所総督,神奈川府知事,開拓長官などをつとめ,のち貴族院副議長,枢密院副議長。伯爵。明治45年1月4日死去。80歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

東久世通禧

没年:明治45.1.4(1912)
生年:天保4.11.22(1834.1.1)
幕末の攘夷派公家,明治の政治家,伯爵。号は竹亭,古帆軒。久我家を本家とする村上源氏で岩倉家と同族。蔵米30石3人扶持の下級公卿の家柄。父は東久世通徳。文久2(1862)年国事御用掛となり,翌3年国事参政を命ぜられ攘夷を唱えたが,同年の8月18日の政変で三条実美らと長州に退去した。王政復古後赦免されて参与となり,外国事務総督となって明治初期の外交に尽力,明治2(1869)年開拓長官となった。以後侍従長,元老院・貴族院・枢密院の各副議長を歴任。<著作>『東久世通禧日記』<参考文献>高瀬真卿編『竹亭回顧録 維新前後』(『続日本史籍協会叢書』)

(上野秀治)

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世界大百科事典 第2版の解説

ひがしくぜみちとみ【東久世通禧】

1833‐1912(天保4‐大正1)
幕末期の尊王攘夷派の公卿。号は竹亭,古帆軒。1863年(文久3),国事参政となったが,同年8月18日の政変で京都を追われ,七卿落一人として長州へ下った。67年(慶応3)京都へもどって参与となり,68年(明治1)には外国事務取調掛,ついで外国事務総督となり,新政府の外交事務を統括した。69年には開拓長官として箱館に赴任し,71年侍従長となり,岩倉具視の欧米視察に同行。帰国後,元老院議官,同副議長,枢密顧問官,貴族院副議長,枢密院副議長を歴任した。

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大辞林 第三版の解説

ひがしくぜみちとみ【東久世通禧】

1833~1912) 幕末・明治の攘夷派の公家・政治家。七卿落ちの一人。新政府成立後その外交に参画した。のち貴族院副議長・枢密院議長などを歴任。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東久世通禧
ひがしくぜみちとみ

[生]天保4(1833).11. 京都
[没]1912.1. 東京
幕末,明治期の公卿出身の政治家。「みちよし」とも読む。号は竹亭。文久3 (1863) 年の七卿落の一人。明治新政府参与,外国事務総督,のち貴族院,枢密院の副議長。伯爵。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東久世通禧
ひがしくぜみちとみ
(1833―1912)

幕末・明治前期の公家(くげ)、政治家、外交官。天保(てんぽう)4年11月22日生まれ。竹亭などと号す。1842年(天保13)童形のまま東宮(とうぐう)出仕、以後もつねに側近として孝明(こうめい)天皇に近侍した。1863年(文久3)2月学習院出仕、国事参政となり、尊攘派(そんじょうは)公卿(くぎょう)として知られる。同年の八月十八日の政変により三条実美(さんじょうさねとみ)らと長州に逃れた(七卿落(しちきょうおち))。1865年(慶応1)長州藩から大宰府(だざいふ)に移り、1867年12月王政復古により帰洛(きらく)、新政府の参与(さんよ)に就任した。ついで明治政府の外国事務総督、神奈川府知事となり明治初年の外交を担当した。1869年(明治2)北海道開拓長官。1871年岩倉遣外使節に加わって欧米を巡視し翌年帰国。1882年元老院副議長、1890年貴族院副議長などを歴任した。著作に『竹亭回顧録維新前後』がある。明治45年1月4日没。[佐々木克]
『霞会館華族資料調査委員会編『東久世通禧日記』上下・別巻(1992~1995・霞会館)』

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世界大百科事典内の東久世通禧の言及

【開拓使】より

…版籍奉還後,ただちに開拓使が設置されたのは,日露雑居の地樺太をめぐってロシアとの関係が緊張し,北方の開拓が急務とされたからであり,開拓によって国富を増進できるのではないかという期待もあった。開拓長官は初め鍋島直正,次いで東久世通禧(みちとみ)だったが,1870年5月に黒田清隆が開拓次官になってからは,黒田が開拓使の実質的な中心となった。黒田は74年8月から開拓長官となり,鹿児島出身の官僚を多く集めたので,開拓使は薩摩閥の独占するところとなった。…

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