日本大百科全書(ニッポニカ) 「東久邇稔彦内閣」の意味・わかりやすい解説
東久邇稔彦内閣
ひがしくになるひこないかく
(1945.8.17~10.9 昭和20)
十五年戦争敗戦後の最初の内閣。1945年8月14日ポツダム宣言を受諾した宮廷グループなど日本支配層は、軍の一部主戦派の動きや敗戦に伴う国民の動揺を抑えるため皇室の権威を利用しようとし、8月17日陸軍大将東久邇稔彦を首相とする初の皇族内閣を組織した。無任所国務大臣近衛文麿(このえふみまろ)、内閣書記官長緒方竹虎(おがたたけとら)が同内閣の中心であった。
占領軍の進駐、降伏文書の調印、軍の解体、行政機構の平時化など終戦処理は順調に進んだものの、国民に対し「一億総懺悔(ざんげ)」を説くなど、それ以外の施策は国体護持を基本とする旧態依然たるものであった。10月4日、GHQ(連合国最高司令部)が治安維持法等弾圧法規の撤廃、政治犯の釈放、山崎内相罷免など一連の本格的な民主化指令を出すと、それに対応できず総辞職に至った。
[宮﨑 章]