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東久邇稔彦 ひがしくになるひこ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東久邇稔彦
ひがしくになるひこ

[生]1887.12.3. 京都
[没]1990.1.20. 東京
大正・昭和期の軍人,政治家。久邇宮朝彦親王(くにのみやあさひこしんのう)の第9王子。兄に賀陽宮邦憲王(かやのみやくにのりおう),久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう),梨本宮守正王(なしもとのみやもりまさおう),朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)がいる。1906年に東久邇宮家を創設し,東久邇宮稔彦王となった。1908年に陸軍士官学校を卒業。1920~27年,フランスに留学。1937年に陸軍航空本部長となり,1938年に第2軍司令官として徐州会戦,ハンコウ(漢口)攻略戦に参加した。1939年に陸軍大将,1941年に本土防衛総司令官となった。1945年8~10月,内閣総理大臣として終戦処理にあたった。1946年公職追放,1947年に臣籍降下し,東久邇稔彦と称した。1950年に新興宗教の「ひがしくに教」を興し,一時教祖となった。

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デジタル大辞泉の解説

ひがしくに‐なるひこ【東久邇稔彦】

[1887~1990]軍人。旧皇族。京都の生まれ。第二次大戦終結直後、首相として皇族内閣を組織し終戦処理にあたった。→幣原喜重郎

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百科事典マイペディアの解説

東久邇稔彦【ひがしくになるひこ】

元皇族。久邇宮朝彦王の第9子。1906年東久邇宮家を創立。陸軍大学卒後フランスに留学,第2,第4師団長,陸軍航空本部長等を歴任,1939年陸軍大将となる。戦後内閣(東久邇稔彦内閣)を組織。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

東久邇稔彦 ひがしくに-なるひこ

1887-1990 明治-昭和時代の皇族,軍人。
明治20年12月3日生まれ。中川宮朝彦親王の王子。明治39年東久邇宮家を創立。フランスに留学。昭和14年陸軍大将,16年防衛総司令官となる。20年初の皇族首相として内閣を組織し,終戦処理にあたったが,2ヵ月で総辞職。22年皇籍離脱。平成2年1月20日死去。102歳。陸軍大学校卒。日記に「一皇族の戦争日記」「東久邇日記」。

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世界大百科事典 第2版の解説

ひがしくになるひこ【東久邇稔彦】

1887‐1990(明治20‐平成2)
旧皇族,軍人。第2次大戦直後の首相。久邇宮朝彦親王の第9王子として京都で生まれる。陸軍士官学校卒業。1920年以来,フランスに7年間留学し,自由主義の気風を身につけた。陸軍の内部で皇道派と衝突,左遷された経験をもつ。敗戦直後の45年8月17日に最初の皇族内閣を組閣し,降伏文書調印,軍隊の復員・解体などの終戦処理にあたったが,占領軍との連絡調整に限界を感じ,組閣後2ヵ月で総辞職した。47年10月皇族の身分を離れた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東久邇稔彦
ひがしくになるひこ
(1887―1990)

元皇族、軍人。久邇宮朝彦親王の第9子として京都に生まれる。1906年(明治39)東久邇宮家を創立。皇族の例として陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業した。夫人は明治天皇の第9皇女聡子(としこ)内親王。1920~1927年(大正9~昭和2)フランスに留学、自由主義的雰囲気に触れる。帰国後第二・第四師団長、陸軍航空本部長などを歴任、1938年第二軍司令官として華北に従軍、1941年には防衛総司令官となった。第二次世界大戦敗戦後、初の皇族首相として、終戦処理内閣を組織したが、10月4日GHQ(連合国最高司令部)の民主化指令に対応できず、総辞職した。1947年(昭和22)皇室典範等の改正で皇族の身分を離脱、その後新興宗教「ひがしくに教」の教祖として話題となった。[宮 章]
『東久邇稔彦著『東久邇日記』(1968・徳間書店) ▽長谷川峻著『東久邇政権・五十日 終戦内閣』(1987・行研出版局)』

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