改訂新版 世界大百科事典 「東洋自由新聞」の意味・わかりやすい解説
東洋自由新聞 (とうようじゆうしんぶん)
1881年(明治14)3月18日創刊された日刊新聞。フランスに遊学し自由主義思想に触れた公卿西園寺公望(さいおんじきんもち)が社長,中江兆民が主筆を務めた。おりからの自由民権運動の高揚のなかでフランス的な自由民権論を展開し,とくに,中江兆民の執筆になる社説は,当時の自由民権思想のなかでも卓越していた。そのほか国内政治状況,外国事情などの報道記事も充実していた。しかし,西園寺が自由民権派の新聞社社長を務めることを好まない政府は,極秘の勅命によって西園寺を退社させた。これに憤った社員松沢求策らは政府の干渉のいきさつを暴露する檄文(〈東洋自由新聞顚覆す〉)を配布し,逮捕された。社長と有力社員を失ったのに加えて資金提供者であった社主稲田政吉が社を脱退したため経営的にも行き詰まり,81年4月30日第34号をもって廃刊した。
執筆者:有山 輝雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報