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松下禅尼 まつしたぜんに

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松下禅尼
まつしたぜんに

鎌倉時代の秋田城介安達景盛の娘。北条時氏の室。鎌倉幕府執権経時,時頼らの母。寛喜2 (1230) 年時氏と死別。『徒然草』によると,みずから障子の破れを切り張りして,時頼に質素倹約を教えたという。

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デジタル大辞泉の解説

まつした‐ぜんに【松下禅尼】

北条時氏の妻。経時・時頼らの母。安達景盛の娘。手ずから障子の切り張りをして、子の時頼に質素倹約の手本を示したという徒然草にみえる逸事で有名。生没年未詳。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松下禅尼 まつしたぜんに

?-? 鎌倉時代の女性。
安達景盛(あだち-かげもり)の娘。北条時氏(ときうじ)の妻。北条経時(つねとき),時頼(ときより),為時(ためとき),時定の母。寛喜(かんぎ)2年(1230)時氏の死で出家。「徒然草」によれば,住まいの甘縄(あまなわ)邸をおとずれた執権時頼に,みずから破れ障子を補修して倹約の大切さをおしえたという。

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朝日日本歴史人物事典の解説

松下禅尼

生年:生没年不詳
鎌倉中期の女性。北条泰時の長男で六波羅探題の時氏の妻,安達景盛の娘。北条経時,時頼,為時,時定らの母。元仁1(1224)年6月29日に六波羅探題として上京する夫時氏に同行,寛喜2(1230)年4月11日夫と共に鎌倉に戻る。同年6月18日に時氏が早世すると出家し,以後実家の鎌倉甘縄邸に居住。次男である執権時頼を甘縄邸にむかえた際,自ら障子の破れた箇所を補修して倹約の大切さを教えたという『徒然草』の記事は有名である。同時期の北条氏と安達氏を結ぶ人物として重要。<参考文献>『大日本史料』(寛喜2年6月18日条)

(美川圭)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

まつしたぜんに【松下禅尼】

鎌倉時代の女性。生没年不詳。秋田城介安達景盛の娘,義景の妹。北条時氏の妻で,経時,時頼,為時,時定の母。時氏が六波羅探題であったときは京都にあったが,1230年(寛喜2)時氏の没後は出家して安達氏の鎌倉甘縄(あまなわ)第に住み,松下禅尼と呼ばれ一族子女の敬慕を受けた。60年(文応1)5月10日には覚智(景盛)の十三年追福の施主をつとめた。執権時頼を甘縄第に迎えるに際し,みずから障子を補修し質素倹約をすすめたという話(《徒然草》)は有名である。

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大辞林 第三版の解説

まつしたぜんに【松下禅尼】

北条時氏の妻。経時・時頼・為時の母。「徒然草」に見える、時頼に質素・倹約を説いた障子切り張りの逸話は有名。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松下禅尼
まつしたぜんに

生没年不詳。鎌倉時代賢夫人として有名。秋田城介(あきたじょうのすけ)安達景盛(あだちかげもり)の女(むすめ)。鎌倉幕府3代執権北条泰時(やすとき)の子時氏(ときうじ)に嫁して、経時(つねとき)(4代執権)、時頼(ときより)(5代執権)為時(ためとき)らを産んだ。1224年(元仁1)、泰時にかわって六波羅探題(ろくはらたんだい)(北方)となった時氏に従って上京、3年にして鎌倉に帰り、30年(寛喜2)に夫を失った。このころ出家したらしく松下禅尼とよばれた。51年(建長3)ころ鎌倉の甘縄亭(あまなわてい)に住んでいたことが知られ、60年(文応1)までの生存が確認できる。自ら障子の破れを切り張りして、簡易質素な倹約の生活を時頼らに教えた話が『徒然草(つれづれぐさ)』に記されている。[田辺久子]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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