松島庄五郎
まつしましょうごろう
長唄(ながうた)唄方、三味線方。4世を数えるが初世と2世が著名。
[渡辺尚子]
生没年不詳。18世紀前半に活躍した初期長唄の名人の一人。松島派の流祖松島四郎八(しろはち)の門弟といわれる。優れた美声の持ち主で、『二人椀久(ににんわんきゅう)』『英獅子乱曲(はなぶさししのらんぎょく)』(『枕獅子』)、『高尾さんげの段』(『高尾懺悔(さんげ)』)などをうたい名声を博した。
[渡辺尚子]
(1833―90)5世松永忠五郎の実子。前名6世忠五郎。1877年(明治10)庄五郎名義を復活して2世を襲名。『勧進帳(かんじんちょう)』『元禄(げんろく)花見踊』『土蜘(つちぐも)』などの立唄(たてうた)を勤めて好評を博した。
[渡辺尚子]
(?―1918)2世の実子。前名杵屋(きねや)正三郎。この3世から三味線方になる。1902年(明治35)3世を襲名。一時期、長唄研精会(けんせいかい)に参加し唄方を勤めたが、翌年同会を離れて三味線方に戻り、歌舞伎座(かぶきざ)の立三味線となる。
[渡辺尚子]
(1902―80)3世の義弟3世松島庄十郎の女婿。前名松島栄八郎。3世杵屋栄蔵に師事。1959年(昭和34)4世を襲名するが、同時に唄方の実子4世庄十郎(1927―2003。本名大沢善之助)を松島の7代目家元とし、自らはその後見役となる。4世のみ庄五朗と記す。
[渡辺尚子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
松島 庄五郎(4代目)
マツシマ ショウゴロウ
- 職業
- 長唄三味線方
- 本名
- 大沢 信次郎
- 別名
- 前名=松島 栄八郎
- 生年月日
- 明治35年 10月17日
- 経歴
- 3代目庄五郎の義弟で3代目松島庄十郎の女むこ。3代目杵屋栄蔵に学び、松島栄八郎の名で三味線方を務めた。昭和34年4代目庄五郎を襲名。息子の4代目庄十郎を松島の家元にし、家元後見役を務めた。
- 没年月日
- 昭和55年 4月21日 (1980年)
- 家族
- 息子=松島 庄十郎(4代目)
松島 庄五郎(3代目)
マツシマ ショウゴロウ
- 職業
- 長唄三味線方
- 本名
- 中村 清次郎
- 別名
- 前名=杵屋 正三郎
- 経歴
- 2代目庄五郎の実子。3代目杵屋勘五郎に三絃を学び、留五郎と称した。師の死後3代目杵屋正次郎に師事、正三郎となり、明治35年3代目庄五郎を襲名した。一時期長唄研精会の唄方を務め、36年3月同会を離れ、歌舞伎座の立三味線として活躍した。
- 没年月日
- 大正7年 6月20日 (1918年)
- 家族
- 父=松島 庄五郎(2代目)
松島 庄五郎(2代目)
マツシマ ショウゴロウ
- 職業
- 江戸長唄唄方
- 別名
- 前名=松永 鉄五郎(5代目)(マツナガ テツゴロウ),松永 忠五郎(6代目)
- 生年月日
- 天保4年
- 経歴
- 5代目松永忠五郎の子で、初め5代目松永鉄五郎を襲名。明治1年6代目鉄五郎の名を清元叶太夫に譲り、自分は6代目松永忠五郎を襲名。その後、享保期から途絶していた松島庄五郎の名を見つけ、8年には2代目松島庄五郎を名乗った。「勧進帳」「元禄花見踊」などの立唄で人気を得た。
- 没年月日
- 明治23年 3月7日 (1890年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
松島 庄五郎(4代目)
マツシマ ショウゴロウ
昭和期の長唄三味線方
- 生年
- 明治35(1902)年10月17日
- 没年
- 昭和55(1980)年4月21日
- 本名
- 大沢 信次郎
- 別名
- 前名=松島 栄八郎
- 経歴
- 3代目庄五郎の義弟で3代目松島庄十郎の女むこ。3代目杵屋栄蔵に学び、松島栄八郎の名で三味線方を務めた。昭和34年4代目庄五郎を襲名。息子の4代目庄十郎を松島の家元にし、家元後見役を務めた。
松島 庄五郎(3代目)
マツシマ ショウゴロウ
明治・大正期の長唄三味線方
- 没年
- 大正7(1918)年6月20日
- 本名
- 中村 清次郎
- 別名
- 前名=杵屋 正三郎
- 経歴
- 2代目庄五郎の実子。3代目杵屋勘五郎に三絃を学び、留五郎と称した。師の死後3代目杵屋正次郎に師事、正三郎となり、明治35年3代目庄五郎を襲名した。一時期長唄研精会の唄方を務め、36年3月同会を離れ、歌舞伎座の立三味線として活躍した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
松島庄五郎(初代)
生年:生没年不詳
江戸中期,18世紀前半に活躍した長唄唄方。享保11(1726)年の江戸市村座顔見世番付の連名に初見。江戸四谷のせんざい場(青物市場)の呼び込み役であったが,声が非常によかったので勧められて長唄界に入ったという。師弟関係は不詳だが,三味線方の松島四郎八,あるいは松島助次郎あたりと関係があったのではなかろうか。初代吉住小三郎,坂田兵四郎と共に名人上手と称賛された。庄五郎の名跡は,昭和期の4代まで続いた。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
松島庄五郎(2代) まつしま-しょうごろう
1833-1890 江戸後期-明治時代の長唄唄方。
天保(てんぽう)4年生まれ。5代松永忠五郎の子。前名は4代松永兼五郎,5代鉄五郎,6代忠五郎。明治10年松島庄五郎の名を復活して2代庄五郎を襲名。「元禄(げんろく)花見踊」などの立(たて)唄をつとめて好評を博した。明治23年3月7日死去。58歳。
松島庄五郎(3代) まつしま-しょうごろう
?-1918 明治-大正時代の長唄三味線方。
2代松島庄五郎の子。11代杵屋(きねや)六左衛門,3代杵屋正次郎にまなぶ。明治35年3代庄五郎を襲名。一時唄方をつとめたが三味線方にもどり,歌舞伎座の立三味線をつとめる。大正7年6月20日死去。本名は中村清次郎。前名は杵屋正三郎。
松島庄五郎(初代) まつしま-しょうごろう
?-? 江戸時代中期の長唄唄方。
松島派流祖松島四郎八(しろはち)の門弟といわれる。享保(きょうほう)-宝暦(1716-64)ごろの人。美声で知られた。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
松島 庄五郎(4代目) (まつしま しょうごろう)
生年月日:1902年10月17日
昭和時代の江戸長唄の三味線方
1980年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の松島庄五郎の言及
【芳村伊十郎】より
…1856年(安政3)4世伊十郎を,59年5世伊三郎を襲名する。明治初期を代表する唄方として2世松島庄五郎と並び称せられた。(5)5世(1823‐1902∥文政6‐明治35) 本名中村万吉。…
※「松島庄五郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」